定公が尋ねた、ひと言で「邦」を栄えさせる言葉はあるだろうか。孔先生が答えておっしゃった、言葉によってそのようにできるかどうか分かりませんが、ほとんどそうだということがあります。ひとの言葉によれば、「君であることは難しく、臣でいることも容易ではない」と。もし君であることの難しさを知っていれば、ひと言で国を栄えさせるのに近いのではないでしょうか。(定公がさらに)尋ねた、ひと言で「邦」を滅ぼすことができる言葉はあるだろうか。孔先生が答えておっしゃった、言葉によってそのようにできるかどうか分かりませんが、ほとんどそうだということがあります。ひとの言葉によれば、「自分は君であることを楽しむことは無いが、だたその言うことに対して自分に背くことがない(ことを楽しむ)。」と。もし私(君)の言葉が正しくて、これに背くことがなければ、なんと善いではないか。もし(君の言葉が)正しくなくて、これに背くことがなければ、ひと言で国を滅亡させるということに近いのではないでしょうか。|「論語」子路第十三15
【現代に活かす論語】
組織のトップがその立場を全うすることが難しく家臣であることが容易ではないと知っていれば、その組織は栄えるだろう。
組織のトップがその立場を楽しむことはないが自分の言葉通りになることを喜びとする場合、正しくない言葉にさえ誰も背かなければ、その組織は滅んでいくだろう。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
12:30「子路第十三」前半01 – 15 素読
2023.10.01収録
【解釈】
定公(ていこう) … 魯の君主。孔子が仕えた。「論語」の登場人物|論語、素読会
定公問う、一言にして以て邦を興すべきこと、諸有りや。孔子対えて曰わく、言は以て是くの若くなるべからざるも其れ幾きや。人の言に曰わく、君たること難し、臣たること易からずと。如し君たることの難きを知らば、一言にして邦を興すに幾からずや。曰わく、一言にして邦を喪ぼすべきこと、諸有りや。孔子対えて曰わく、言は以て是くの若くなるべからざるも其れ幾きや。人の言に曰わく、予君たるを楽しむこと無し。唯其の言うことにして予に違うこと莫き。如し其れ善にして之に違うこと莫くんば、亦善からずや。如し不善にして之に違うこと莫くんば、一言にして邦を喪ぼすに幾からずや。|「論語」子路第十三15
定公問、一言而可以興邦、有諸。孔子対曰、言不可以若是其幾也。人之言曰、為君難、為臣不易。如知為君之難也、不幾乎一言而興邦乎。曰、一言而喪邦、有諸。孔子対曰、言不可以若是其幾也。人之言曰、予無楽乎為君。唯其言而莫予違也。如其善而莫之違也、不亦善乎。如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎。
「邦」(くに)は元来「国」は一定の地域の意。せいぜい派生しても都城までの意で、国家の意は「邦」が表していた。「興」(おこす)は栄えさせる、盛んにする。「対」(こたえる)は上位者からの質問に答える。「若」(ごときは)は…に至っては。…に関しては。「幾」(ちかい)はすんでのことに、ほぼ…のよう、ほとんど…しそう。「君」(きみ)は統治者の総称、王者、天子・諸侯・卿・大夫など。「臣」(しん)は官吏、家来。「如」(もし)はもし…ならば。「喪」(ほろぼす)は滅亡する。「違」(たがう)は背く。「不亦〜乎」(また…ずや)はなんと…ではないか。
定公が尋ねた、ひと言で「邦」を栄えさせる言葉はあるだろうか。孔先生が答えておっしゃった、言葉によってそのようにできるかどうか分かりませんが、ほとんどそうだということがあります。ひとの言葉によれば、「君であることは難しく、臣でいることも容易ではない」と。もし君であることの難しさを知っていれば、ひと言で国を栄えさせるのに近いのではないでしょうか。(定公がさらに)尋ねた、ひと言で「邦」を滅ぼすことができる言葉はあるだろうか。孔先生が答えておっしゃった、言葉によってそのようにできるかどうか分かりませんが、ほとんどそうだということがあります。ひとの言葉によれば、「自分は君であることを楽しむことは無いが、だたその言うことに対して自分に背くことがない(ことを楽しむ)。」と。もし私(君)の言葉が正しくて、これに背くことがなければ、なんと善いではないか。もし(君の言葉が)正しくなくて、これに背くことがなければ、ひと言で国を滅亡させるということに近いのではないでしょうか。
【解説】
素読で利用している「現代訳 仮名論語」伊與田覺 著(論語普及会 刊)では「唯其言而楽莫予違也」(唯其の言うことにして予に違うこと莫きを楽しむなりと。)としてあります。また「論語 新釈漢文大系」吉田賢抗 著(明治書院 刊)では、「莫」の前に「楽」を置いて解するとはっきりする。と解説されています。この解釈に私は同意して、解釈でもそのようにしています。さらにその元を辿れば、「論語集解(古注)」に「楽」の文字があり、「論語集注(新注)」にはありません。私はこの章句を解釈するにあたり、論語集注の白文と読み下し文を掲載し、素読では、「論語集解」を採用するという表現になっています。論語の解釈を続けている中で、何を基軸として解釈をするのかとい点は大変重要です。ただ、この章句においては「楽」という文字を加えることで私の解釈が落ち着くことが第一であるので、その有無によって解釈がブレることはありません。その上で、「楽」があるものとしてしまうことは、論語の解釈の楽しみをひとつ失うに等しいとも考えます。どちらも掲載することでそれが論語の楽しさに繋がると思うのです。
「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三14< | >子路第十三16
【原文・白文】
定公問、一言而可以興邦、有諸。孔子対曰、言不可以若是其幾也。人之言曰、為君難、為臣不易。如知為君之難也、不幾乎一言而興邦乎。曰、一言而喪邦、有諸。孔子対曰、言不可以若是其幾也。人之言曰、予無楽乎為君。唯其言而莫予違也。如其善而莫之違也、不亦善乎。如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎。
<定公問、一言而可以興邦、有諸。孔子對曰、言不可以若是其幾也。人之言曰、爲君難、爲臣不易。如知爲君之難也、不幾乎一言而興邦乎。曰、一言而喪邦、有諸。孔子對曰、言不可以若是其幾也。人之言曰、予無樂乎爲君。唯其言而莫予違也。如其善而莫之違也、不亦善乎。如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎。>
(定公問う、一言にして以て邦を興すべきこと、諸有りや。孔子対えて曰わく、言は以て是くの若くなるべからざるも其れ幾きや。人の言に曰わく、君たること難し、臣たること易からずと。如し君たることの難きを知らば、一言にして邦を興すに幾からずや。曰わく、一言にして邦を喪ぼすべきこと、諸有りや。孔子対えて曰わく、言は以て是くの若くなるべからざるも其れ幾きや。人の言に曰わく、予君たるを楽しむこと無し。唯其の言うことにして予に違うこと莫き。如し其れ善にして之に違うこと莫くんば、亦善からずや。如し不善にして之に違うこと莫くんば、一言にして邦を喪ぼすに幾からずや。)
【読み下し文】
定公(ていこう)問(と)う、一言(いちげん)にして以(もっ)て邦(くに)を興(おこ)すべきこと、諸(これ)有(あ)りや。孔子(こうし)対(こた)えて曰(のたま)わく、言(げん)は以(もっ)て是(か)くの若(ごと)くなるべからざるも其(そ)れ幾(ちか)きや。人(ひと)の言(げん)に曰(い)わく、君(きみ)たること難(かた)し、臣(しん)たること易(やす)からずと。如(も)し君(きみ)たることの難(かた)きを知(し)らば、一言(いちげん)にして邦(くに)を興(おこ)すに幾(ちか)からずや。曰(い)わく、一言(いちげん)にして邦(くに)を喪(ほろ)ぼすべきこと、諸(これ)有(あ)りや。孔子(こうし)対(こた)えて曰(のたま)わく、言(げん)は以(もっ)て是(か)くの若(ごと)くなるべからざるも其(そ)れ幾(ちか)きや。人(ひと)の言(げん)に曰(い)わく、予(われ)君(きみ)たるを楽(たの)しむこと無(な)し。唯(ただ)其(そ)の言(い)うことにして予(われ)に違(たが)うこと莫(な)き。如(も)し其(そ)れ善(ぜん)にして之(これ)に違(たが)うこと莫(な)くんば、亦(また)善(ぜん)からずや。如(も)し不善(ふぜん)にして之(これ)に違(たが)うこと莫(な)くんば、一言(いちげん)にして邦(くに)を喪(ほろ)ぼすに幾(ちか)からずや。
「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三14< | >子路第十三16