孔先生がおっしゃった、もし、自分の身を正しくすれば、政治にたずさわるにあたって何が(問題で)あろうか。自分の身を正しくすることができなければ、どうして人を正しくすることができるだろうか。|「論語」子路第十三13
【現代に活かす論語】
自分自身を正しくすることができなければ、どうして人を正しくすることができるだろうか。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
06:40「子路第十三」前半01 – 15 素読
2023.10.01収録
【解釈】
子曰わく、苟くも其の身を正しくせば、政に従うに於て何か有らん。其の身を正しくすること能わずんば、人を正しくすることを如何せん。|「論語」子路第十三13
子曰、苟正其身矣、於従政乎何有。不能正其身、如正人何。
「苟」(いやしくも)はもしも…ならば。「従」(したがう)は加わる、たずさわる。「能」(あたう)は…できる。如何(いかんせん)はどうして…だろうか。
孔先生がおっしゃった、もし、自分の身を正しくすれば、政治にたずさわるにあたって何が(問題で)あろうか。自分の身を正しくすることができなければ、どうして人を正しくすることができるだろうか。
【解説】
「論語」では為政者が身を正すことが、政治の根本という孔子の考えがしばしば登場します。
【関連章句】
「政治は「正」である。あなた(子)が(国を)率いるのに公正さを用いれば、だれが敢えて不正をするだろうか。|「論語」顔淵第十二17」
「その人物自身の品行が正しければ、命令をしなくても(さまざま)行われる。|「論語」子路第十三06」
「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三12< | >子路第十三14
【原文・白文】
子曰、苟正其身矣、於従政乎何有。不能正其身、如正人何。
<子曰、苟正其身矣、於從政乎何有。不能正其身、如正人何。>
(子曰わく、苟くも其の身を正しくせば、政に従うに於て何か有らん。其の身を正しくすること能わずんば、人を正しくすることを如何せん。)
【読み下し文】
子(し)曰(のたま)わく、苟(いやし)くも其(そ)の身(み)を正(ただ)しくせば、政(まつりごと)に従(したが)うに於(おい)て何(なに)か有(あ)らん。其(そ)の身(み)を正(ただ)しくすること能(あた)わずんば、人(ひと)を正(ただ)しくすることを如何(いかん)せん。
「論語」参考文献|論語、素読会
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