2023年3月、WBC(World Baseball Classic)の日本代表監督として、野球の日本代表を14年振りの優勝に導いた栗山英樹さん。栗山さんと論語の関係についてまとめます。
新しい選手には渋沢栄一の『論語と算盤』を配って「オフの間にまず読みなさい」と伝えていた
栗山英樹さんは日本ハムファイターズの監督時代、新しい選手には渋沢栄一の『論語と算盤』を配って「オフの間にまず読みなさい」と伝えていたそうです。
栗山監督は「商売でも野球でも人間としての徳がなかったら発展させることができない」ということを選手に伝えたかったそうです。野球以外のことにこそ選手が育つヒントがあると思っていたとのこと。指導者というより教育者的な視点で選手と関わっていたように感じます。
これまでの新しい選手には渋沢栄一の『論語と算盤』を配って「オフの間にまず読みなさい」と伝えていました。「商売でも野球でも人間としての徳がなかったら発展させることができない」ということをこの本を通して伝えようとしたのですが、なかなか思うように伝えられなかったものですから、僕が愛読していた『小さな人生論』を必読書として渡しました。
プロ生活に慣れた頃に、選手たちがこの本を読み返して自分の原点を見つめてくれたら嬉しいですね。僕は野球以外のところに選手が育つヒントがあると思っていて、特に我われが先人から授かったものを若者に橋渡ししていきたいという思いがとても強いんです。
大谷翔平の人間力はどのように培われたか(栗山英樹×隈研吾)(2021年11月17日) 致知出版
僕は『論語と算盤』の「成敗は身に残る糟粕」の項がとても好きなんです
栗山英樹さんは、日本全国で論語塾を開催され「アスリート論語塾」を著された安岡定子さんとの対談で、『論語と算盤』の「成敗は身に残る糟粕」の項が好きだと話されています。
〈栗山〉
僕自身、29歳の時、病気によりプロ野球選手を引退し、惨めで暗澹たる思いを抱いていた時期があるんです。だからこそ、監督になってからは、これからの時間のすべてはチームと選手のために使い尽くすと決めていました。振り返ると、監督としての10年間、「厳しい時に自分を助けていただいた人たちに報いたい」「誰かのために野球をやりたい」という思いだけで歩んできた気がします。
僕は『論語と算盤』の「成敗は身に残る糟粕」の項がとても好きなんです。渋沢さんは「成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである」と述べ、人間は人としての務めを全うすることを心掛けなくてはならないと言っています。
〈安岡〉
成功や失敗はどこまでも粕のようなものだと。〈栗山〉
僕はどうしたら選手のモチベーションを高め、強い組織ができるだろうかと考えた時に、それは格好よさだと思ったんです。人間はどう生きるべきかという話をしても、彼らはなかなか聞いてくれません。だけど、夜飲みに行って騒いでいる姿と、5万人の観衆を自分のバット1本で沸かせる姿のどちらが格好いいかと聞けば、すぐに反応してくれますね。その上で「格好よく生きるためには人間としての丹精、努力が欠かせないし、皆に尽くさなくては運も生まれてこない」「自分のことばかり考えている人が駅に集まったら改札が混雑して通れなくなる。チームワークがないってそういうことだよね」というような話をするんです。「成敗は身に残る糟粕」という言葉の意味をどこまで伝えられたかは分かりませんが、これは僕が『論語と算盤』の中で好きな言葉の一つですね。
斎藤佑樹選手が引退会見に込めた思い——侍ジャパントップチーム・栗山英樹監督が語る(2022年03月23日) 致知出版社
渋沢栄一が講演で語った話を集約した講話集である『論語と算盤』の一番最後の項が「成敗と運命|成敗は身に残る糟粕」です。
栗山監督が『論語と算盤』を通して選手たちに伝えたかったことは、お好きだという「成敗は身に残る糟粕」の項から読み取れるのではないでしょうか。
人は人としての務めを標準(判断の基準)として一身の行路を定めなければならない
ここでいう「成敗」とは、悪運に乗じて成功したもの、善人が運拙く(うんまずく)失敗したもの、これを指しています。成功や失敗はあくまで結果でそれを標準(判断の基準)にするのではなく、人は人としての務めを標準(判断の基準)として一身の行路を定めなければならない。といいます。
これは、「論語」でいう、人の上に立つ立派な人は正しいこと道義を基準に理解するが、小人は目の前の利益を元に判断、解決する「君子は義に喩り、小人は利に喩る|「論語」里仁第四16」ということを根本とすることです。
「糟粕」は、酒をしぼり取ったあとに残ったかす、取るに足らないもののたとえです。成功・失敗はただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものだと渋沢氏はいいます。すなわち人の成功・失敗を見て失望したり悲観したりする必要がないと。
広い世界には、成功すべくして失敗した例はいくらでもある
広い世界には、成功すべくして失敗した例はいくらもある。智者は自ら運命を作ると聞いているが、運命のみが人生を支配するものではない。智恵がこれに伴って、初めて運命を開拓することができるのである。(中略)とにかく人は誠実に努力黽勉(びんべん)して、自ら運命を開拓するが宜い。もしそれで失敗したら自己の智力が及ばぬためと諦め、また成功したら智恵が活用されたとして、成敗に関わらず天命に托するがよい。かくて破れても飽くまで勉強するならば、いつかは再び幸運に際会する時が来る。
「論語と算盤 Kindle版」 渋沢 栄一 著 (図書刊行会 刊)
現代人は、成功・失敗より大切で実質的な道理を見ずに、糟粕に等しい金銭財宝ばかりに目を奪われていることを問題視しています。渋沢氏がいう現代人とは明治時代のひとばかりを指すのではなく、我々にも当てはまると考えるべきです。そして渋沢氏はこう付け加えます、自己の責務を果たし行って、心が安定することを心がけなければならないと。
成功・失敗に目を奪われると、人は心が殺伐として安らかになり難いと渋沢氏は考えていたようです。「論語」にはこう書かれています。仁徳がない者は、久しく逆境にいることができない。長く幸福を楽しむことはできない。仁徳がある者は安定して安らかに仁を実践し、知者は仁の価値を知ってそれを実践する「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す|「論語」里仁第四02」この場合の「仁」とはひとが生まれながらに重ねていく道徳心や思いやりの心を指しています。仁徳がない人(不仁者)はその心を忘れてしまった人、道徳心より自己の利益を優先してしまう人を指します。
渋沢氏は、豊臣秀吉と徳川家康を例に結果的に徳川三百年の泰平の覇業を成したのは運命であるが、しかしこの運命を捉えるのはむずかしく、徳川家康はその智力によって当来した運命を捕捉したと分析します。まず誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に福(さいわい)し、運命を開拓するように仕向けてくれるというのです。そして徳川三百年の泰平が訪れたように、国家が発達進歩するためには目の前の成敗を論じてはならないとも言っています
価値ある生涯を送ることができる
そして渋沢氏は最後に、こう締めくくります。
苟(いやしく)も事の成敗以外に超然として立ち、道理に則って一身を終始するならば、成功失敗のごときは愚か、それ以上に価値ある生涯を送ることができるのである。
「論語と算盤 Kindle版」 渋沢 栄一 著 (図書刊行会 刊)
この渋沢栄一氏がいう「価値ある生涯」という部分が恐らく栗山監督が選手に伝えたかったことなのではないかと思います。
栗山英樹さん自身、29歳の時、病気によりプロ野球選手を引退し、惨めで暗澹たる思いを抱いていた時期があるという経験から、選手である前にひととしての生涯を如何に価値あるものにするか、成功・失敗だけに目を向けず、実質的で普遍的な道理を捉えて、務めを全うしていくことが、結果的には選手を成長させチームを強くしていくことに繋がると考えたのだと思います。
栗山英樹さんが日本ハムファイターズの監督に就任したのが2012年。2023年のWBCで日本代表チームを年長者としてリードしたダルビッシュ有選手が大リーグへ挑戦した年でしたが、2013年に入団した大谷翔平選手をはじめ日本ハムファイターズ出身の若い選手の中には栗山さんの思いが伝わっていたと考えられます。今回の選手たちの躍動に「成敗は身に残る糟粕」の精神、物怖じせず試合を楽しむ姿に、彼らが見据えた目標の崇高さを感じずにいられません。
今回ご紹介した「論語」の章句
人の上に立つ立派な人は正しいこと道義を基準に理解するが、小人は目の前の利益を元に判断、解決する「君子は義に喩り、小人は利に喩る|「論語」里仁第四16」
仁徳がない者は、久しく逆境にいることができない。長く幸福を楽しむことはできない。仁徳がある者は安定して安らかに仁を実践し、知者は仁の価値を知ってそれを実践する「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す|「論語」里仁第四02」