論語、素読会

未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん|「論語」先進第十一11

季路は神に仕えることについて尋ねた。孔先生がおっしゃった、まだ人に仕えることができていないのに、どうして神に仕えることができるだろう。と。季路は更に死について尋ねた。孔先生がおっしゃった、まだ生きていることについて分からないのに、どうして死について分かるものだろうか。|「論語」先進第十一11

【現代に活かす論語】
まだこの世に生まれて、生きるということが分からないのに、どうして死がなんであるかが分かるのだろうか。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
10:15「先進第十一」前半1 – 16 素読
2023.02.07収録

【解釈】

季路(きろ) … 姓は仲(ちゅう)、名は由(ゆう)、字は子路(しろ)・季路(きろ)。孔子より九歳若く孔子門人の中で最年長。孔子のボディガード役を果たした。「論語」の登場人物|論語、素読会

季路鬼神に事えんことを問う。子曰わく、未人に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん。曰わく、敢て死を問う。曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。|「論語」先進第十一11
季路問事鬼神。子曰、未能事人、焉能事鬼。曰、敢問死。曰、未知生、焉知死。

「鬼神」(きしん)は超人的な力を持つ霊的存在。天神を「神」人神を「鬼」という。「事」(つかえる)は官職につく、仕える。「未」(いまだ)は、まだ…していない。「能」(あたう)は…できる。「焉」(いずくんぞ)は、どうして…だろうか。「敢」(あえて)は思い切って行う。

季路は神に仕えることについて尋ねた。孔先生がおっしゃった、まだ人に仕えることができていないのに、どうして神に仕えることができるだろう。と。季路は更に死について尋ねた。孔先生がおっしゃった、まだ生きていることについて分からないのに、どうして死について分かるものだろうか。

【解説】

樊遅が「知」について孔子に尋ねたとき、鬼神を敬いつつも距離を取ることが「知」であると答えています。「樊遅知を問う。子曰わく、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂うべし。|「論語」雍也第六20」鬼神に仕えるということは、この距離を取るという考え方からすれば、よく考えて判断すべきこと、軽々しく考えることではないという気持ちがあったのではないでしょうか。季路の熱い気持ちを考えて、まず人に仕えて国をよい方向に変えていくということ、如何に生きていくかということに心血を注ぎなさいとアドバイスしているように感じます。


「論語」参考文献|論語、素読会
先進第十一10< | >先進第十一12


【原文・白文】
 季路問事鬼神。子曰、未能事人、焉能事鬼。曰、敢問死。曰、未知生、焉知死。

(季路鬼神に事えんことを問う。子曰わく、未だ人に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん。曰わく、敢て死を問う。曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。)
【読み下し文】
 季路(きろ)鬼神(きしん)に事(つか)えんことを問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、未(いま)だ人(ひと)に事(つか)うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼(おに)に事(つか)えん。曰(い)わく、敢(あえ)て死(し)を問(と)う。曰(のたま)わく、未だ生(せい)を知(し)らず、焉(いずく)んぞ死(し)を知(し)らん。


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