論語、素読会

斉一変せば魯に至らん。魯一変せば道に至らん|「論語」雍也第六22

孔先生がおっしゃった、斉の国が少し変わって進歩すれば魯の国のようになるだろう。魯の国が少し変わって進歩すれば道義のある政治が行われる国になるだろう。|「論語」雍也第六22

【現代に活かす論語】
わが国が少し変わって進歩すれば道徳ある国になるだろう。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
06:35 「雍也第六」後半11-28 素読
2021.9.26収録

【解釈】

斉(せい) … 孔子が生きた春秋時代、今の山東省の大半を領有した大国

魯(ろ) … 孔子が生まれ過ごした小国

斉は今の山東省の大半を領有して、渤海(ぼっかい)南岸に近い臨淄(りんし)に都した強大な国である。周王朝創業第一の功臣、太公望(たいこうぼう)の建てた国で、春秋の初めごろ桓公が管仲を用いて強大を致し、覇業をなして富国強兵の実を発揮した。管仲の政治は、法家の祖と仰がれるが、法家思想の大成者である韓非子などとは大分趣を異にして、礼儀廉恥を尊び、国民生活の安定を第一としたものであった。故に国の性格として、覇者の余風もあり、まだ権謀を捨てきって徳治をとるということができないが、今一歩改善されて変化したら魯のようになるだろうといったものだろう。
魯は山東省の曲阜(きょくふ)を都とした小国である。北方に泰山が聳え、汶水・泗水などが東南に流れて黄海に注ぐところ、現今でも平和な地味の肥えた地方である。始祖の周公旦(しゅうこうたん)は、周室建国の武王の弟であり、成王を補佐して、よく礼制文化を整理発達させた賢人である。従って魯の国には先王の遺風があった。孔子の時代には衰えて、三桓の僭礼、道義の衰頽などの甚しいものがあったが、長い伝統を持った魯国には、まだ風俗の美なるものが残っていたのだろう。

新釈漢文大系 論語 吉田賢抗著 明治書院刊
子曰わく、斉一変せば魯に至らん。魯一変せば道に至らん。|「論語」雍也第六22
子曰、斉一変至於魯。魯一変至於道。

「道」(みち)は道義のある道徳のある政治。ここではその政治が行われる国。

孔先生がおっしゃった、斉の国が少し変わって進歩すれば魯の国のようになるだろう。魯の国が少し変わって進歩すれば道義のある政治が行われる国になるだろう。

【解説】

強国「斉」と弱小国でも周の遺風を継承している「魯」を比較している章句です。孔子の魯に対する思い入れも多少感じられるところがこの章句の味わいです。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六21< | >雍也第六23


【原文・白文】
 子曰、斉一変至於魯。魯一変至於道。
<子曰、齊一變至於魯。魯一變至於道。>

(子曰わく、斉一変せば魯に至らん。魯一変せば道に至らん。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、斉(せい)一変(いっぺん)せば魯(ろ)に至(いた)らん。魯(ろ)一変(いっぺん)せば道(みち)に至(いた)らん。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六21< | >雍也第六23


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