論語、素読会

洋洋乎として耳に盈てるかな|「論語」泰伯第八15

孔先生がおっしゃった、音楽師の長官、摯(し)が詩経の四始を演奏したが、特に関雎は美しくりっぱで耳からあふれ出るようだった。|「論語」泰伯第八15

【現代に活かす論語】
楽師の長官の演奏は耳からあふれ出るように美しくりっぱだったと孔子は話しています。

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00:00 章句の検討

15:45 「泰伯第八」後半11-21 素読
2022.2.20収録

【解釈】

師摯(しし) … 師は音楽師の長官、名は摯。晩年の孔子は「師摯の演奏が今も耳に残っている」と回顧している。

古者詩三千餘篇、及至孔子、去其重、取可施於禮義、上采契后稷、中述殷周之盛、至幽厲之缺、始于衽席。故曰「關雎之亂以爲風、鹿鳴爲小雅、文王爲大雅、清廟爲頌」。三百五篇孔子皆弦歌之、以求合韶武雅頌之音。禮樂自此可得而述、以備王道、成六藝。

古来、『詩(経)』は三千余篇あったが、孔子のときになって、その重複をのぞき、礼儀に役立つものだけを残した。上は契(せつ)や后稷(こうしょく)に関する篇を取り挙げ、中頃では殷と周王朝の盛時をを述べ、政治の荒廃した幽王や厲王(れいおう)の欠陥時代に終わり、また、詩意では衽席(じんせき)など至近なものに始まっている。それゆえに言うことには「『関雎』の篇を国風の始めとし、『鹿鳴』の篇を小雅の始めとし、『文王』の篇を大雅の始めとし、『清廟』の篇を頌の始めとする」と。『詩経』に収められた三百五篇を、孔子はどれも管絃にあわせて歌い、それで詔や武、雅や頌の楽の音に合致するようにした。礼儀と音楽は此の時より述べ伝えることができるようになり、それで王者の道を完備し、六芸の内容を校正した。

「孔子全書11 史記(1)」(明徳出版社 刊)吹野安、石本道明 著
子曰わく、師摯の始、関雎の乱、洋洋乎として耳に盈てるかな。|「論語」泰伯第八15
子曰、師摯之始、関雎之乱、洋洋乎盈耳哉。

「師」(し)は専門的に特定の職域・機能をあつかう官。この章句の場合は音楽師の長官。「始」(はじめ)は詩経の四つの始め(上記参照)のこと。「関雎」(かんしょ)は詩経の一番最初の章句。「洋洋」(ようよう)は美しくりっぱなさま。「盈」(みつ)はあふれ出る、みなぎる。

孔先生がおっしゃった、音楽師の長官、摯(し)が詩経の四始を演奏したが、特に関雎は美しくりっぱで耳からあふれ出るようだった。

【解説】

『詩経』
國風(こくふう) 周南(しゅうなん) 関雎(かんしょ)

關關雎鳩 在河之洲
窈窕淑女 君子好逑
參差荇菜 左右流之
窈窕淑女 寤寐求之
求之不得 寤寐思服
悠哉悠哉 輾轉反側
參差荇菜 左右采之
窈窕淑女 琴瑟友之
參差荇菜 左右芼之
窈窕淑女 鐘鼓樂之

關關(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)は 河の洲(す)に在り
窈窕(ようちょう)たる淑女(しゅくじょ)は 君子(くんし)の好逑(こうきゅう)
參差(しんし)たる荇菜(こうさい)は 左右に流(もと)む
窈窕(ようちょう)たる淑女は 寤寐(ごび)に求む
之を求めて得ざれば 寤寐(ごび)に思服(しふく)す
悠(ゆう)なる哉(かな)悠なる哉 輾轉(てんてん)反側(はんそく)す
參差(しんし)たる荇菜(こうさい)は 左右に采(と)る
窈窕(ようちょう)たる淑女は 琴瑟(きんしつ)もて友(した)しむ
參差(しんし)たる荇菜(こうさい)は 左右に芼(と)る
窈窕(ようちょう)たる淑女は 鐘鼓(しょうこ)もて樂(たの)しむ

クワーン、クワーンと鳴くみさご鳥が、黄河の中州におりたつ(祖霊は鳥の形をして河に降りたちたもうた)。たおやけき乙女(巫女)は、祖霊のつれあい。
高く低くしげる沼のアサザを、左に右に選びとる。たおやけき巫女は、夢にまで祖霊の降臨を求め願う。
求めても得られるとて、夢にまでもくり返し思いつめる。ああ憂わしきかな、伏しまどいつつ夜をすごすl
高く低くしげる沼のアサザを、左に右に選びとる。たおやけき巫女は、宗廟で琴瑟(こと)を奏でて(祖霊を呼ぶ)。
高く低くしげる沼のアサザを、左に右にと抜きとる。たおやけき巫女は、宗廟で鐘と鼓(たいこ)を鳴らして(祖霊を招く)。

「詩経 上 新釈漢文大系」石川忠久 著(明治書院 刊)

「関雎之乱」の「乱」について文献ごとに解釈が異なります。始めと対と考えて終わりとする場合、対象が師摯の演奏の始めと終わりと考えるのか、関雎の演奏の終わりと考えるのか解釈が分かれているように感じます。さらに(演奏の)最後に総括するという意味を見いだしている文献もあります。また関雎の詩の意味から「乱れ」という解釈をしている文献もあります。
本ブログでは「関雎之乱」をひとつの単語として考え「乱」には特別な意味を持たせずに解釈しました。「師摯之始、関雎之乱」でリズムが生まれていること。そして史記では「関雎之乱」をそのまま扱っていることがその理由です。
根拠のないあくまでも想像ですが「関雎」の篇を表す愛称として「関雎之乱」と呼んでみたと考えたのです。芸術に触れてその感動を誰かに伝える際に、その内容を装飾する言葉と同時に表現することは現代でもあります。例えば心を感動で乱すということをこのブログを執筆している2022年時で表現すれば、『エモい関雎』と表現することができるかもしれません。
音楽師の長官、摯(し)が詩経の四始を演奏したが、エモい関雎は美しくりっぱで耳からあふれ出るようだった。
このような捉え方があってもいいのではないかと思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
泰伯第八14< | >泰伯第八16


【原文・白文】
 子曰、師摯之始、関雎之乱、洋洋乎盈耳哉。
<子曰、師摯之始、關雎之亂、洋洋乎盈耳哉。>

(子曰わく、師摯の始、関雎の乱、洋洋乎として耳に盈てるかな。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、師摯(しし)の始(はじめ)、関雎(かんしょ)の乱(おわり)、洋洋乎(ようようこ)として耳(みみ)に盈(み)てるかな。
※「師摯之始、関雎之乱」は「始、乱」(はじめ、おわり)とも、「始、乱」(し、らん)とも読み下す。


「論語」参考文献|論語、素読会
泰伯第八14< | >泰伯第八16


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