論語、素読会

敢て告げずんばあらざるなり|「論語」憲問第十四22

陳成子が簡公を殺した。孔先生は体を清めて朝廷に出廷して、哀公に申し上げておっしゃった。陳恒が彼の主君を殺しました。どうかあの者を征伐してくださいと。哀公は言った、あの(三桓の)三人に伝えよと。孔先生がおっしゃった、私は(三人の)大夫の後に従う立場にあって、敢えて申し上げないわけにはいかなかったのだが、君(哀公)がおっしゃったのは、(三桓)の三人に伝えよということだけであった。(私は)三桓の三人のところに行って申し上げたが、聞き届けられなかったと。孔先生がおっしゃった、私は大夫の後に従う立場にあって、敢えて申し上げないわけにはいかなかったのだ。|「論語」憲問第十四22

【現代に活かす論語】
立場を超えてまでも、申し伝えなければならないことがあります。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

16:10「憲問第十四」後半22 – 46 素読
2024.1.12収録

【解釈】

陳成子(ちんせいし)陳恒(ちんこう) … 姓は陳(ちん)、名は恒(こう)、成(せい)は贈り名。陳文子の子孫。簡公(かんこう)を弑して王位を奪い、弟の平公(へいこう)を立てて自分は宰相となった。「論語」の登場人物|論語、素読会

簡公(かんこう) … 斉(せい)の公。名は壬(じん)。景公の子の悼公(とうこう)の子。臣の闞止(かんし)を寵愛したため、それを怨んだ陳成子に、在位四年にして殺された。「論語」の登場人物|論語、素読会

哀公(あいこう) … 魯の君主。名は蒋(しょう)。十歳で即位した。孔子を重用した定公の後に即位して二十七年在位した。「論語」の登場人物|論語、素読会

三桓(さんかん) … 魯の大夫、孟孫氏・叔孫氏・季孫氏の三氏の家。「論語」の登場人物|論語、素読会

陳成子簡公を弑す。孔子沐浴して朝し、哀公に告げて曰わく、陳恒其の君を弑す。請う之を討たん。公曰わく、夫の三子に告げよ。孔子曰わく、吾大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。君曰わく、夫の三子者に告げよと。三子に之きて告ぐ。可かず。孔子曰わく、吾大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。|「論語」憲問第十四22
陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恒弑其君。請討之。公曰、告夫三子。孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也。君曰、告夫三子者。之三子告。不可。孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也。

「沐浴」(もくよく)は髪や体を洗い清める。「朝」(ちょう)は君主や高級官僚が政務を処理した場所。朝廷。「朝」(ちょうす)は目上の者にまみえる。「告」(つげる)は下の者が上の者に申し上げる。「請」(こう)はどうか…をしてください。「討」(うつ)は征伐する、出征する。「夫」(その)はあの。「三子」(さんし)は三人。「大夫」(たいふ)は官吏の身分の一つ。中央の要職や顧問など、重要な地位をしめる場合が多い。

陳成子が簡公を殺した。孔先生は体を清めて朝廷に出廷して、哀公に申し上げておっしゃった。陳恒が彼の主君を殺しました。どうかあの者を征伐してくださいと。哀公は言った、あの(三桓の)三人に伝えよと。孔先生がおっしゃった、私は(三人の)大夫の後に従う立場にあって、敢えて申し上げないわけにはいかなかったのだが、君(哀公)がおっしゃったのは、(三桓)の三人に伝えよということだけであった。(私は)三桓の三人のところに行って申し上げたが、聞き届けられなかったと。孔先生がおっしゃった、私は大夫の後に従う立場にあって、敢えて申し上げないわけにはいかなかったのだ。

【解説】

文献によれば、魯の国では三桓と言われる三つの家が政治を牛耳っていたとのこと。この章句はそれを裏付けるものです。判断をしない(判断をさせてもらえない)主君と、実権を握っていても取り合わない者たち。この場面での三者の有り様をあらためて検証すると、主君に直言できる孔子、そして主君から孔子の訴えを聞くように言われても取り合わない家臣たち。彼ら三桓は孔子を目障りとさえ思っていた節があります。孔子は自らを、彼らより低い地位のものであるが言わざるを得なかったとくり返し、悔しさを滲ませているようにも感じます。前後の章句の流れから見てこの章句から学ぶことは、大事なことは目上の者に対しても申し伝えることの大切さですが、孔子が政治に対して挫折したこと、そして後進の教育に力を注いでいった背景を象徴するできごとではないでしょうか。
更に文献によっては、三桓に陳成子を征伐せよと告げたことで、彼らが陳成子と同様のことをするようであれば、それは征伐に値するということが伝わったという解釈、解説があります。間違いではないと思いますが、私はそれよりも立場を超えてまで願い出たほどの理不尽な行いが斉の国で起きてしまったという衝撃と、それを主君に伝えたときの温度差などを感じて、ただただ無念だったのではないかと、その思いの方が強く感じます。
現代の組織でも日々これと同じようなことが行われているのではないでしょうか。そんなとき我々はこの2,500年以上前の孔子から何を学ぶことができるのでしょうか。私は、抗いつつも愚直に自身の徳性を高め、後進の指導に力を注いだ孔子の姿に共感するのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四21< | >憲問第十四23


【原文・白文】
 陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恒弑其君。請討之。公曰、告夫三子。孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也。君曰、告夫三子者。之三子告。不可。孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也。
<陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恆弑其君。請討之。公曰、告夫三子。孔子曰、以吾從大夫之後、不敢不告也。君曰、告夫三子者。之三子告。不可。孔子曰、以吾從大夫之後、不敢不告也。>

(陳成子簡公を弑す。孔子沐浴して朝し、哀公に告げて曰わく、陳恒其の君を弑す。請う之を討たん。公曰わく、夫の三子に告げよ。孔子曰わく、吾大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。君曰わく、夫の三子者に告げよと。三子に之きて告ぐ。可かず。孔子曰わく、吾大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。)
【読み下し文】
 陳成子(ちんせいし)簡公(かんこう)を弑(しい)す。孔子(こうし)沐浴(もくよく)して朝(ちょう)し、哀公(あいこう)に告(つ)げて曰(のたま)わく、(ちんこう)其(そ)の君(きみ)を弑(しい)す。請(こ)う之(これ)を討(う)たん。公(こう)曰(い)わく、夫(か)の三子(さんし)に告(つ)げよ。孔子(こうし)曰(のたま)わく、吾(われ)大夫(たいふ)の後(しりえ)に従(したが)えるを以(もっ)て、敢(あえて)て告(つ)げずんばあらざるなり。君(きみ)曰(い)わく、夫(か)の三子者(さんししゃ)に告(つ)げよと。三子(さんし)に之(ゆ)きて告(つ)ぐ。可(き)かず。孔子(こうし)曰(おたま)わく、吾(われ)大夫(たいふ)の後(しりえ)に従(したが)えるを以(もっ)て、敢(あえ)て告(つ)げずんばあらざるなり。


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