論語、素読会

必ずや訟無からしめんか|「論語」顔淵第十二13

孔先生がおっしゃった、うったえを聞くのは、私も他の人と同じである。必ずやうったえがないように(世の中に)したい。|「論語」顔淵第十二13

【現代に活かす論語】
政治は人々の訴えを聞くのが役割ではなく、政治によってそもそも争いごとがない世の中にすべきなのである。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

06:45「顔淵第十二」前半01 – 13 素読
2023.05.09収録

【解釈】

子曰わく、訟を聴くは、吾猶人のごときなり。必ずや訟無からしめんか。|「論語」顔淵第十二13
子曰、聴訟、吾猶人也。必也使無訟乎。

「訟」(うったえ)は裁判、うったえごと。「猶」(なお)はA=Bが同等や類似であることを表す。「人」(ひと)は他人、自分以外のほかのひと。「使」(しむ)は人や事物に対してある行為をさせる。

孔先生がおっしゃった、うったえを聞くのは、私も他の人と同じである。必ずやうったえがないように(世の中に)したい。

【解説】

政治の中でも、人民からの訴えについて答えています。この前の章句では訴訟に対する判断を引き延ばさずに対処するように求め、この章句ではそもそも訴えがないようにしたいと言います。
孔子がこのように自分の使命について明確に話している章句は多くありません。訴えを聞くのが政治の役割ではなく、訴えをなくすのが役割なのです。この章句の向こう側には徳政による人民の安寧があり、それこそが孔子が望む社会なのだと思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二12< | >顔淵第十二14


【原文・白文】
 子曰、聴訟、吾猶人也。必也使無訟乎。
<子曰、聽訟、吾猶人也。必也使無訟乎。>

(子曰わく、訟を聴くは、吾猶人のごときなり。必ずや訟無からしめんか。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、訟(うったえ)を聴(き)くは、吾(われ)猶(なお)人(ひと)のごときなり。必(かなら)ずや訟(うったえ)無(な)からしめんか。


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二12< | >顔淵第十二14


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