論語、素読会

必ずや親の喪か|「論語」子張第十九17

曽子が言う、私は孔先生にこう聞いたことがある、人は、自分の思いを述べることがなかなかないが、きっとあるとすれば親の喪だろう、と。|「論語」子張第十九17

【現代に活かす論語】
人が自分の感情をさらけ出すとすれば、それはお葬式でしょう。(お葬式くらいは自分の感情に素直になっていいでしょう。)

【解釈】

曾子(そうし)曽子(そうし) … 姓は曾、名は参(しん)、字は子輿(しよ)。孔子より四十六歳若い。
孔子の教えを伝えた第一人者と言われています。「論語」の登場人物|論語、素読会

曽子曰く、吾諸を夫子に聞けり。人未だ自ら致す者有らざるなり。必ずや親の喪か。|「論語」子張第十九17
曽子曰、吾聞諸夫子。人未有自致者也。必也親喪乎。

「夫子」(ふうし)は先生に対する尊称。「未」(いまだせず)はこれまで動作や行為が生起していないことを表す。まだ…していない、いままで…したことがない。「致」(いたす)は思いを述べる。「者」(もの)はもの、こと。「必ず」(かならず)はきっと。≪事実や理論上の確定的な内容を示す≫「喪」(も)は死者を悼み葬る儀式、またその期間、葬式。

曽子が言う、私は孔先生にこう聞いたことがある、人は、自分の思いを述べることがなかなかないが、きっとあるとすれば親の喪だろう、と。

【解説】

孔子は「お葬式は形式が整うよりむしろ心から悲しむようにしなさい。|「論語」八佾第三04」と言い、弟子の子游も「死者を悼み葬る「喪」は、かなしみを極めるだけである。|「論語」子張第十九14」と言います。この章句はそれを裏付ける章句です。


「論語」参考文献|論語、素読会
子張第十九16< | >子張第十九18


【原文・白文】
 曽子曰、吾聞諸夫子。人未有自致者也。必也親喪乎。
<曾子曰、吾聞諸夫子。人未有自致者也。必也親喪乎。>

(曽子曰く、吾諸を夫子に聞けり。人未だ自ら致す者有らざるなり。必ずや親の喪か。)
【読み下し文】
 曽子(そうし)曰(いわ)く、吾(われ)諸(これ)を夫子(ふうし)に聞(き)けり。人(ひと)未(いま)だ自(みずか)ら致(いた)す者(もの)有(あ)らざるなり。必(かなら)ずや親(おや)の喪(も)か。


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