論語、素読会

群居して終日、言義に及ばず|「論語」衛霊公第十五17

孔先生がおっしゃった、人々が集まって一日中、道義を議論するわけでもなく、好んでつまらぬ知恵だけで(議論を)行っている。(道義を議論するようになるのは)難しいなあ。|「論語」衛霊公第十五17

【現代に活かす論語】
人々が集まって知ったかぶりで一日中話し合っている。道理に敵った議論をするのは難しい。

【解釈】

子曰わく、群居して終日、言義に及ばず、好んで小慧を行う。難いかな。|「論語」衛霊公第十五17
子曰、群居終日、言不及義、好行小慧。難矣哉。

「群居」(ぐんきょ)は人々が集まり住む、一族が同居する。「言」(げん)は議論する。「義」(ぎ)は正しいこと。道義。『義』とは?|論語、素読会 「小慧」(しょうけい)はつまらぬ知恵、こざかしさ。「難」(かたい)はむずかしい、簡単ではない。

孔先生がおっしゃった、人々が集まって一日中、道義を議論するわけでもなく、好んでつまらぬ知恵だけで(議論を)行っている。(道義を議論するようになるのは)難しいなあ。

【解説】

「難矣哉」をどう解釈するかですが、まず第一が、人々がつまらぬ知恵であれこれ話し合うより、道義に敵った議論をするようにするのは難しい。です。第二に、このような状態を目の当たりにして、困ったことだなぁ、とただ呆れるという解釈です。
当然のことながら、学びに繋がる議論を重ねて欲しいというのが孔子の思いですので、どちらの解釈でも、その思いは伝わります。あとは受けとる側が、どこまでの気持ちに至るかという点です。「難」をどのように解釈するかを議論することで、この章句を学習に活かすことができると思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五16< | >衛霊公第十五18


【原文・白文】
 子曰、群居終日、言不及義、好行小慧。難矣哉。
<子曰、羣居終日、言不及義、好行小慧。難矣哉。>

(子曰わく、群居して終日、言義に及ばず、好んで小慧を行う。難いかな。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、群居(ぐんきょ)して終日(しゅうじつ)、言(げん)義(ぎ)に及(およ)ばず、好(この)んで小慧(しょうけい)を行(おこな)う。難(かた)いかな。


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衛霊公第十五16< | >衛霊公第十五18


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