論語、素読会

夫れ我は則ち暇あらず|「論語」憲問第十四31

子貢はよく人を比較する。孔先生がおっしゃった、賜は賢いなぁ。そもそも私には暇がないのである。|「論語」憲問第十四31

【現代に活かす論語】
ひとを批評するだけでなく、自分自身の修養に大いに役立てよ。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

09:40「憲問第十四」後半22 – 46 素読
2024.1.22収録

【解釈】

子貢(しこう) … 姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢(しこう)。孔子より三十一歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会

子貢人を方ぶ。子曰わく、賜や賢なるかな。夫れ我は則ち暇あらず。|「論語」憲問第十四31
子貢方人。子曰、賜也賢乎哉。夫我則不暇。

「方」(たくらぶ)は比較する。「賢」(けん)はかしこい、才能のあるさま。「夫」(それ)はそもそも。「則」(すなわち)は動作や様態の強調を表す。「暇」(ひま)はひま、いとま。

子貢はよく人を比較する。孔先生がおっしゃった、賜は賢いなぁ。そもそも私には暇がないのである。

【解説】

前後の章句との関連性を考慮しつつ解釈を進めます。主に君子像を論じるこの篇における意味を考えれば、よくひとを比べて批評する子貢を皮肉って、ひとの比較より自分自身の修養に時間を掛けるべきであるという孔子の考えにたどり着くと思います。次の二つの章句にもあるように孔子と子貢は会話の中でよくひとの批評をしていたようです。「子貢問う、師と商とは孰れか賢れる。|「論語」先進第十一15」「子、子貢に謂いて曰わく、女と回と孰れか兪れる。|「論語」公冶長第五09」このことからも、子貢がひとと比べることについて孔子が非難しているかというと、そうではありません。「子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり。|「論語」里仁第四17」この章句にあるように、批評した上で自分にどう落とし込むのかということを重要視しています。このような視点で本章句を解釈すると、「修養も大事であることを忘れずにね。」とも「まぁ、次から次へと批評して」という孔子の軽いぼやきにも感じられます。
いずれにしても、孔子と子貢の深い関係をこの章句のようにさらっと紹介されると、孔子の学び舎に吹く涼やかな風を感じるのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四30< | >憲問第十四32


【原文・白文】
 子貢方人。子曰、賜也賢乎哉。夫我則不暇。

(子貢人を方ぶ。子曰わく、賜や賢なるかな。夫れ我は則ち暇あらず。)
【読み下し文】
 子貢(しこう)人(ひと)を方(たくら)ぶ。子(し)曰(のたま)わく、賜(し)や賢(けん)なるかな。夫(そ)れ我(われ)は則(すなわ)ち暇(ひま)あらず。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四30< | >憲問第十四32


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