論語、素読会

其れ然り、豈其れ然らんや|「論語」憲問第十四14

孔先生が衛の大夫・公叔文子について公明賈に尋ねておっしゃった。本当だろうか、あの方の言わず、笑わず、取らずというのはと。衛の人・公明賈が答えて言った、それは申し上げた者のまちがいです。あの方は機会をみてその後に言います。ひとは言葉を嫌がりません。楽しんでその後で笑います。ひとはその笑いを嫌みに感じません。正しい行いをしてその後で受け取ります。ひとは受け取っても気に掛けないのです。孔先生がおっしゃった、そうでしょう、恐らくそうでしょう。|「論語」憲問第十四14

【現代に活かす論語】
組織の長は、機会を見て話し、心から楽しんで笑い、正しい行いによって報酬を得る。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

17:35「憲問第十四」前半01 – 21 素読
2023.12.14収録

【解釈】

公叔文子(こうしゅくぶんし) … 文は贈り名。衛(えい)の大夫。「論語」の登場人物|論語、素読会

公明賈(こうめいか) … 衛の人。「論語」の登場人物|論語、素読会

子公叔文子を公明賈に問うて曰わく、信なるか、夫子の言わず、笑わず、取らざること。公明賈対えて曰わく、以て告ぐ者の過てるなり。夫子時にして然る後に言う。人其の言うこと厭わざるなり。楽しみて然る後に笑う。人其の笑うことを厭わざるなり。義にして然る後に取る。人其の取ることを厭わざるなり。子曰わく、其れ然り、豈其れ然らんや。|「論語」憲問第十四14
子問公叔文子於公明賈曰、信乎、夫子不言、不笑、不取乎。公明賈対曰、以告者過也。夫子時然後言。人不厭其言。楽然後笑。人不厭其笑。義然後取。人不厭其取。子曰、其然、豈其然乎。

「信」(まこと)はことばが真実であるさま、いつわりのないさま。「夫子」(ふうし)は男子の尊称。「告」(つぐ)は申し上げる。「過」(あやまつ)はやりそこなう。「時」(とき)は好機、機会、おり。「然後」(しかるのち)はその後で、そうしてやっと。「厭」(いとう)は嫌悪する、反感をもつ。「義」(ぎ)は正しいこと。道義。『義』とは?|論語、素読会 「豈」(あに)は[反語の意味]どうして…であろうか、まさか…ではあるまい。[推量の意味]あるいは…であろう、恐らく…であろう。

孔先生が衛の大夫・公叔文子について公明賈に尋ねておっしゃった。本当だろうか、あの方の言わず、笑わず、取らずというのはと。衛の人・公明賈が答えて言った、それは申し上げた者のまちがいです。あの方は機会をみてその後に言います。ひとは言葉を嫌がりません。楽しんでその後で笑います。ひとはその笑いを嫌みに感じません。正しい行いをしてその後で受け取ります。ひとは受け取っても気に掛けないのです。孔先生がおっしゃった、そうでしょう、恐らくそうでしょう。

【解説】

「其然、豈其然乎。」の解釈ですが、「豈」を反語/推量どちらにするか、文献によって判断が分かれます。反語として解釈した場合、公明賈の説明に対してまさかそこまで?という懐疑的な発言に感じます。推量として解釈する場合は、孔子の思っていた通りであり公明賈の説明を肯定することになります。
この章句の解釈で重要な点は、編者がこの章句を採用している理由であると考えます。伝えたいことは何であるのかを想像することで「豈」の解釈が変わると思います。解釈で反語を採用すると、公叔文子が人格者であるかどうか、またその程度についての評価になります。一方で推量を採用した場合は、世間のうわさでは、言わず、笑わず、取らずといわれているが、本当のところを確認することで、誤解が生まれることの危うさを指摘し、それぞれ発言に慎重で自分の心に背かずに楽しみ、正しい行いによって報酬を得るという大夫としての基本的な態度を明確にしています。
この章句までの流れを考えるに、編者が伝えたいことは、公叔文子がどんな人物であるかではなく、大夫としてどうあるべきかということですので、推量を採用して解釈しました。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四13< | >憲問第十四15


【原文・白文】
 子問公叔文子於公明賈曰、信乎、夫子不言、不笑、不取乎。公明賈対曰、以告者過也。夫子時然後言。人不厭其言。楽然後笑。人不厭其笑。義然後取。人不厭其取。子曰、其然、豈其然乎。
<子問公叔文子於公明賈曰、信乎、夫子不言、不笑、不取乎。公明賈對曰、以告者過也。夫子時然後言。人不厭其言。樂然後笑。人不厭其笑。義然後取。人不厭其取。子曰、其然、豈其然乎。>

(子公叔文子を公明賈に問うて曰わく、信なるか、夫子の言わず、笑わず、取らざること。公明賈対えて曰わく、以て告ぐ者の過てるなり。夫子時にして然る後に言う。人其の言うこと厭わざるなり。楽しみて然る後に笑う。人其の笑うことを厭わざるなり。義にして然る後に取る。人其の取ることを厭わざるなり。子曰わく、其れ然り、豈其れ然らんや。)
【読み下し文】
 子(し)公叔文子(こうしゅくぶんし)を公明賈(こうめいか)に問(と)うて曰(のたま)わく、信(まこと)なるか、夫子(ふうし)の言(い)わず、笑(わら)わず、取(と)らざること。公明賈(こうめいか)対(こた)えて曰(い)わく、以(もっ)て告(つ)ぐ者(もの)の過(あやま)てるなり。夫子(ふうし)時(とき)にして然(しか)る後(のち)に言(い)う。人(ひと)其(そ)の言(い)うこと厭(いと)わざるなり。楽(たの)しみて然(しか)る後(のち)に笑(わら)う。人(ひと)其(そ)の笑(わら)うことを厭(いと)わざるなり。義(ぎ)にして然(しか)る後(のち)に取(と)る。人(ひと)其(そ)の取(と)ることを厭(いと)わざるなり。子(し)曰(のたま)わく、其(そ)れ然(しか)り、豈(あに)其(そ)れ然(しか)らんや。


「論語」参考文献|論語、素読会
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