論語、素読会

父母に事えては幾くに諫む|「論語」里仁第四18

【原文】
 子曰、事父母幾諫。見志不従、又敬不違、労而不怨。
<子曰、事父母幾諫。見志不從、又敬不違、勞而不怨。>

(子曰わく、父母に事えては幾くに諫む。志の従わざるを見ては、又敬して違わず、労して怨みず。)
【読み下し文①】
 子(し)曰(のたま)わく、父母(ふぼ)に事(つか)えては幾(ようや)くに諫(いさ)む。志(こころざし)の従(したが)われざるを見(み)ては、又(また)敬(けい)して違(たが)わず、労(ろう)して怨(うら)みず。[仮名論語
【読み下し文②】
 子(し)曰(いわ)く、父母(ふぼ)に事(つか)えては幾諫(きかん)す。志(こころざし)の従(したが)わざるを見(み)ては、又(また)敬(けい)して違(たが)わず、労(ろう)して怨(うら)まず。[新釈漢文大系 論語・論語と孔子の事典

『論語、素読会』
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00:00 章句の検討
06:50 「里仁第四」01-26 素読
2021.6.11収録


「幾諫」 … (きかんす)とも(ようやくにいさむ)とも読み下す。

【解釈】

子曰、事父母幾諫。見志不従、又敬不違、労而不怨。

「事」(つかえる)は仕える。接する、相対する。父母は敬う対象なので、お仕えするという感覚が含まれます。「幾諫」(ようやくにいさむ)はそれとなくおだやかに諫める。父母に何らかの間違いがあった場合の様子。「見志不従」(こころざしのしたがわざるをみては)は父母が自分の態度に難色を示したと感じた場合を指す。「敬不違」(けいしてたがわず)は父母を敬う心を忘れずに逆らうことが無い様子。「労」(ろう)は苦労。「不怨」(うらみず)は怨みには思わない。
孔先生がおっしゃった、父母にもし間違いがあってもおだやか諫める。そしてそれが受け入れられなくても、父母を敬う心を忘れずに逆らうことなく、苦労しても怨まない。


【解説】

孔子は、親を敬い兄姉に従順なことは「仁」の基本だといいます。孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か|「論語」学而第一02 また、すべての「礼」(礼儀、儀礼、制度、規則)は、家庭の親や兄姉への敬い、尊重からはじまると言っています。書に云う、孝なるかな惟れ孝、兄弟に友に、有政に施す|「論語」為政第二21
ただそれは従順なだけではなく、時には諫めなければならないとこの章句ではいいます。諫めなければならないのですが、敬う心を忘れずにということなのです。親には冷静に応対するのが理想的な家庭であり、ひいてはそれが君子の道に続いているということが、孔子の教えなのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
里仁第四17< | >里仁第四19


【現代に活かす論語】
親にもし間違いがある場合はおだやかに意見をする。そしてそれが受け入れられなくても親を敬うことを忘れず、親のせいで苦労することになっても怨まないでいたいものだ。