論語、素読会

武を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽さざるなり|「論語」八佾第三25

【原文】
 子謂韶、尽美矣、又尽善也。謂武、尽美矣、未尽善也。
<子謂韶、盡美矣、又盡善也。謂武、盡美矣、未盡善也。>

(子韶を謂わく、美を尽くせり、又善を尽せり。武を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽さざるなり。)
【読み下し文】
 子(し)韶(しょう)を謂(のたま)わく、美(び)を尽(つ)くせり、又(また)善(ぜん)を尽(つく)せり。武(ぶ)を謂(のたま)わく、美(び)を尽(つく)せり、未(いま)だ善(ぜん)を尽(つく)さざるなり。

『論語、素読会』
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00:00​ 章句の検討
07:35​ 「八佾第三」01-26 素読
2021.5.7収録


【解釈】

子謂韶、尽美矣、又尽善也。

「謂」(のたまわく、いわく)は批評する。「韶」(しょう)は、夏王朝の舜(しゅん)の音楽。舜王は尭(ぎょう)王から禅譲によって天下を得たので、音楽には平和の趣がある。
孔先生が批評しておっしゃった、舜の韶という音楽は、美をつくし善をつくしているなあ。

謂武、尽美矣、未尽善也。

「武」武(ぶ)王の音楽。武王は殷の紂(ちゅう)王を武力で伐って周の国を建てた。
武王の音楽を批評しておっしゃった、美は尽くしているが、まだ善をつくしてはいないなぁ。


【解説】

文献には、当時は天下を取ると必ず曲を作って奉告したそうです。当時の礼楽では楽曲と同時に舞が奉告されます。文献では、武の舞では舞人が盾と斧を手にしていたということから武の音楽に殺伐さを感じたのでしょう。孔子が芸術にも道徳的なものを求めていたこと、またそれは自然に現れるものとして考えていたことが伝わります。


「論語」参考文献|論語、素読会
八佾第三24< | >八佾第三26


【現代に活かす論語】
自らのリーダーシップを、権力を誇示したり闘争的なイメージによって形作るとすれば、いくら美しく清廉潔白に感じるとしても、道徳的に善いとは言えない。