論語、素読会

君子は争う所無し。必や射か|「論語」八佾第三07

【原文】
 子曰、君子無所争。必也射乎。揖讓而升下、而飲。其争也君子。
<子曰、君子無所爭。必也射乎。揖讓而升下、而飮。其爭也君子。>

(子曰わく、君子は争う所無し。必ずや射か。揖讓して升り下りて、而して飲ましむ。其の争いや君子なり。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、君子(くんし)は争(あらそ)う所(ところ)無(な)し。必(かなら)ずや射(しゃ)か。揖讓(ゆうじょう)して升(のぼ)り下(くだ)りて、而(しこう)して飲(の)ましむ。其(そ)の争(あらそ)いや君子(くんし)なり。

『論語、素読会』
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00:00​ 章句の検討

06:50​ 「八佾第三」01-26 素読
2021.4.12収録


【解釈】

子曰、君子無所争。必也射乎。

「君子」はひとが目指すべき立派な人。「射」(しゃ)は弓道、射道。「必也〜乎」ただそれだけで、他にないの意。
孔先生がおっしゃった、立派な人は争うことをしないが、ただあるとすれば弓道(射道)であろうか。

揖讓而升下、而飮。其争也君子。

「揖讓」(ゆうじょう)の「揖」は左右の手を胸の前で組み合わせ礼を示す姿。「讓」は謙遜して他人に譲ること。升下(しょうか)は射礼で堂上(建物の床のこと。この場合は射道の競技場のことか)に升(のぼ)ったり下りたりすること。「飮」は酒を飲むこと。
礼を以て相手を敬いつつ、射道の競技を行い射場を行きつ戻りつして、競技が済めば酒を飲み合う。それこそが君子の争いというものだ。


【解説】

無為に争いごとをするのではなく、礼儀礼節を以てお互いのことを敬いながら争うことが、立派な人の争いというものだと言っています。
八佾第三の他の章句と同様、孔子が考える「礼」について解説した章句であるといえます。
射道に関連する記述 … 大射(たいしゃ)、射礼(じゃらい)wikipedia


「論語」参考文献|論語、素読会
八佾第三06< | >八佾第三08


【現代に活かす論語】
人の上に立つ立派な人は決して人と争う場面がない。ただ争うことがあるとすれば弓道のようなお互いを敬い礼節をもって競い合う競技においてのみだろう。