論語、素読会

嗚呼、曾ち泰山は林放に如かずと謂えるか|「論語」八佾第三06

季氏が慣例に反して泰山を祭った。孔先生が冉有に答えておっしゃった、お前は季氏の過ちを正して救うことはできないか?冉有は答えた、私にはできません。孔先生がおっしゃった、ああ、すなわち泰山の神様は、「礼」の根本について質問をしてきた林放にも及ばないと思うのか。(泰山の神は季氏が非礼な態度を取っていることに気付かないとでも思うのか?)|「論語」八佾第三06

【現代に活かす論語】
自分の身分、地位を越した非礼な態度を取ることについて、例えそれが先人の霊を祭る行為であったとしても、祭られる側の神が気付いていないわけはない。形式的に儀礼、祭礼を行っても正しい行いが伴わなければ、行ってはいけない。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00​ 章句の検討

15:00​ 「八佾第三」01-26 素読
2021.4.9収録

【解釈】

季氏 … 魯の大夫。諸侯。三桓。「論語」の登場人物|論語、素読会

泰山(たいざん) … 中国の名山。五岳〈東は泰山、西は華山、南は衡山(こうざん)、北は恒山(こうざん)、中央は嵩山(すうざん)〉

冉有(ぜんゆう) … 姓は冉、名は求(きゅう)また有。字は子有(しゆう)。孔子より29歳若い。温和な性格だったようです。「論語」の登場人物|論語、素読会

林放(りんぽう) … おそらく孔子の弟子だが、司馬遷の史記には記述がないそうです。「論語」八佾第三04 で「礼」の根本について尋ねています。「論語」の登場人物|論語、素読会

季氏泰山に旅す。子冉有に謂いて曰わく、女救うこと能わざるか。対えて曰わく、能わず。子曰わく、嗚呼、曾ち泰山は林放にも如かずと謂えるか。|「論語」八佾第三06
季氏旅於泰山。子謂冉有曰、女弗能救与。対曰、不能。子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎。

「旅」山を祭ること。天子は天下の名山を祭り、諸侯は時刻内の山を祭るのが礼すなわち決まりである。「救」(すくう)は過ちを正して救う。「嗚呼」(ああ)強い嘆き。「謂」(おもえる)は思うの意。

季氏が慣例に反して泰山を祭った。孔先生が冉有に答えておっしゃった、お前は季氏の過ちを正して救うことはできないか?冉有は答えた、私にはできません。孔先生がおっしゃった、ああ、すなわち泰山の神様は、「礼」の根本について質問をしてきた林放にも及ばないと思うのか。(泰山の神は季氏が非礼な態度を取っていることに気付かないとでも思うのか?)

【解説】

季氏の非礼を非難する章句です。冉有は季氏に仕えていたそうです。その冉有に季氏の間違いを正させようとしていますが、それは手遅れだったようです。
季氏の僭越行為はこれまでも問題でした。天子の八佾(八列)の規模で舞踊をしたり、天子の歌舞を自分の祖先のために庭で舞わせてみたり。しかし、これは国の中だけで済んだことでした。しかし、泰山を祭ってしまうと、それは他の諸国に知れ渡ります。この点を孔子は大変危惧したものと思われます。


「論語」参考文献|論語、素読会
八佾第三05< | >八佾第三07


【原文・白文】
 季氏旅於泰山。子謂冉有曰、女弗能救与。対曰、不能。子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎。
<季氏旅於泰山。子謂冉有曰、女弗能救與。對曰、不能。子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎。>

(季氏泰山に旅す。子冉有に謂いて曰わく、女救うこと能わざるか。対えて曰わく、能わず。子曰わく、嗚呼、曾ち泰山は林放にも如かずと謂えるか。)
【読み下し文】
 季氏(きし)泰山(たいざん)に旅(りょ)す。子(し)冉有(ぜんゆう)に謂(い)いて曰(のたま)わく、女(なんじ)救(すく)うこと能(あた)わざるか。対(こた)えて曰(い)わく、能(あた)わず。子(い)曰(のたま)わく、嗚呼(ああ)、曾(すなわ)ち泰山(たいざん)は林放(りんぼう)にも如(し)かずと謂(おも)えるか。
※旅は(やままつりす)とも(りょす)とも読み下す。


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