論語、素読会

煥乎として、其れ文章有り|「論語」泰伯第八19

孔先生がおっしゃった、なんと大きい存在なのだろうか尭の天子は。偉大であるなぁ、ただ天のみが大きいのである。だた尭のみがその天の大きさにひとしいのだ。広大であるなぁ、人民がうまくことばで表現することができないほどだ。偉大であるなぁ、そこにこそ国を治める成功がある。火の光のようだ、そこに礼楽法律制度が存在するのは。|「論語」泰伯第八19

【現代に活かす論語】
国民が表現に困るほど豊かで広大な国家には光る制度、規範が存在する。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

11:05 「泰伯第八」後半11-21 素読
2022.2.25収録

【解釈】

堯・舜・禹(ぎょう・しゅん・う) … 伝説上の天子、帝王。舜は尭から禅譲[帝王がその位を世襲せず、有徳者に譲ること]した。禹は舜に推されて王となり、夏王朝を開いたとされる。「論語」の登場人物|論語、素読会

子曰わく、大いなるかな堯の君たるや、巍巍乎として、唯天を大いなりと為す。唯堯之に則る。蕩蕩乎として、民能く名づくること無し。巍巍乎として、其れ成功有り。煥乎として、其れ文章有り。|「論語」泰伯第八19
子曰、大哉堯之為君也、巍巍乎、唯天為大。唯堯則之。蕩蕩乎、民無能名焉。巍巍乎、其有成功也。煥乎、其有文章。

「哉」(かな)は感嘆の意。「君」(きみ)は統治者の通称、王者、天子・諸侯・卿・大夫など。「巍巍」(ぎぎ)は高く偉大なさま。「天」(てん)はこの場合、そら、自然界の意。「則」(のっとる)は規範とする。「蕩蕩」(とうとう)は広大なさま。「能」(よく)はうまく。「名」(なづくる)はことばで表現する。「煥」(かん)は火の光の輝き。「文章」は立派な礼楽法律制度、文化的な美しさ。

孔先生がおっしゃった、なんと大きい存在なのだろうか尭の天子は。偉大であるなぁ、ただ天のみが大きいのである。だた尭のみがその天の大きさにひとしいのだ。広大であるなぁ、人民がうまくことばで表現することができないほどだ。偉大であるなぁ、そこにこそ国を治める成功がある。火の光のようだ、そこに礼楽法律制度が存在するのは。

【解説】

「○○乎」の形が繰り返されています。解釈の多くのはこの詠嘆のくり返しにとらわれず、この章句の本質に迫っています。そこで、私は敢えてこの詠嘆を活かして解釈しました。「巍巍乎」「蕩蕩乎」「巍巍乎」と繰り返して、「煥乎」で結ぶ構成です。この章句を読むと、自然と目線が上がり、空の方に向かっていきます。孔子の時代、すでに戦乱の世の中で政治も乱れ、伝説の聖人「尭」の徳政に思いを馳せ、そうして見上げた空に「煥乎」火の光が差すのです。その光の根源は「文章」つまり礼楽法律制度です。乱れた世を正すのはやはり礼楽、規範、孔子が重要視している「礼」だということが分かる章句です。


「論語」参考文献|論語、素読会
泰伯第八18< | >泰伯第八20


【原文・白文】
 子曰、大哉堯之為君也、巍巍乎、唯天為大。唯堯則之。蕩蕩乎、民無能名焉。巍巍乎、其有成功也。煥乎、其有文章。
<子曰、大哉堯之爲君也、巍巍乎、唯天爲大。唯堯則之。蕩蕩乎、民無能名焉。巍巍乎、其有成功也。煥乎、其有文章。>

(子曰わく、大いなるかな堯の君たるや、巍巍乎として、唯天を大いなりと為す。唯堯之に則る。蕩蕩乎として、民能く名づくること無し。巍巍乎として、其れ成功有り。煥乎として、其れ文章有り。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、大(おお)いなるかな堯(ぎょう)の君(きみ)たるや、巍巍乎(ぎぎこ)として、唯(ただ)天(てん)を大(おお)いなりと為(な)す。唯(ただ)堯(ぎょう)之(これ)に則(のっと)る。蕩蕩乎(とうとうこ)として、民(たみ)能(よ)く名(な)づくること無(な)し。巍巍乎(ぎょうぎょうこ)として、其(そ)れ成功(せいこう)有(あ)り。煥乎(かんこ)として、其(そ)れ文章(ぶんしょう)有(あ)り。


「論語」参考文献|論語、素読会
泰伯第八18< | >泰伯第八20


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