論語、素読会

夫の人の為に慟するに非ずして、誰が為にかせん|「論語」先進第十一09

顔淵が死んだ。孔先生はこれを悲しんで声を出して泣いた。ともの者は言った、孔先生は大声をあげてないましたね、と。孔先生がおっしゃった、(私は)感極まって声を出して泣いていたかね。彼のために声が出るほど泣き悲しまずに、一体誰のために泣くんだい。|「論語」先進第十一09

【現代に活かす論語】
自分が一目置く弟子・後輩の死ほど哀しいことはありません。そのひとのために泣かずして誰のために泣くのでしょう。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

07:00「先進第十一」前半1 – 16 素読
2023.01.24収録

【解釈】

顔淵(がんえん) … 姓は顔(がん)、名は回(かい)、字は子淵(しえん)。孔子より三十歳若い。孔子よりも早く、三十歳(一説では四十歳とも)で死んだ。秀才で、門人の中で一番の学問好き。孔子の第一の弟子ともいわれる。「論語」の登場人物|論語、素読会

顔淵死す。子之を哭して慟す。従者曰わく、子慟せり。曰わく、慟すること有るか。夫の人の為に慟するに非ずして、誰が為にかせん。|「論語」先進第十一09
顔淵死。子哭之慟。従者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之為慟、而誰為。

「哭」(こくす)は苦痛や悲しさのために声をたてて泣く、なげく。「慟」(どうす)は悲哀の情が極まって大声をあげてなく、かなしむ。「従者」(じゅうしゃ)はお伴の者。「夫人」(かのひと)はこのひと、彼。「非」(あらず)は「不」。

顔淵が死んだ。孔先生はこれを悲しんで声を出して泣いた。ともの者は言った、孔先生は大声をあげてないましたね、と。孔先生がおっしゃった、(私は)感極まって声を出して泣いていたかね。彼のために声が出るほど泣き悲しまずに、一体誰のために泣くんだい。

【解説】

孔子が敵わないところがあると言って評価していた顔淵。一番の弟子でした。この顔淵を亡くした悲しみが伝わってくる章句です。他の多くの弟子の前で泣くと言うより、顔淵の弔いの帰りでしょうか、もしくは一見関係のないタイミングだったのかも知れません、外出時に悲しみがこみ上げ感極まって慟哭した孔子の様子を想像してしまいます。


「論語」参考文献|論語、素読会
先進第十一08< | >先進第十一10


【原文・白文】
 顔淵死。子哭之慟。従者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之為慟、而誰為。
<顏淵死。子哭之慟。從者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之爲慟、而誰爲。>

(顔淵死す。子之を哭して慟す。従者曰わく、子慟せり。曰わく、慟すること有るか。夫の人の為に慟するに非ずして、誰が為にかせん。)
【読み下し文】
 顔淵(がんえん)死(し)す。子(し)之(これ)を哭(こく)して慟(どう)す。従者(じゅうしゃ)曰(い)わく、子(し)慟(どう)せり。曰(のたま)わく、慟(どう)すること有(あ)るか。夫(か)の人(ひと)の為(ため)に慟(どう)するに非(あら)ずして、誰(たれ)が為(ため)にかせん。


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先進第十一08< | >先進第十一10


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