論語、素読会

舊悪を念わず。怨是を用て希なり|「論語」公冶長第五23

孔先生がおっしゃった、伯夷と叔斉は過去の悪事を根に持つことはなかった。ひとから恨まれることやひとを怨むこととは縁が少ない人だった。|「論語」公冶長第五23

【現代に活かす論語】
不正や不義理に厳しいとしても、過去の悪事を根に持つことがないようでありたい。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
09:25 「公冶長第五」前半16-28 素読
2021.8.6収録

【解釈】

伯夷(はくい) … 名は允(いん)

叔斉(しゅくせい) … 名は致(ち)。殷末、孤竹という小国の公子で、伯夷の弟。

子曰わく、伯夷叔斉は、舊悪を念わず。怨是を用て希なり。|「論語」公冶長第五23
子曰、伯夷叔斉、不念舊悪。怨是用希。

「念」(おもう)は常に思って忘れない。「舊悪」(きゅうあく)は旧い悪事。「怨」(うらみ)はひとから恨まれることと自分が怨むことを併せた意。「希」(まれ)は少ない。

孔先生がおっしゃった、伯夷と叔斉は過去の悪事を根に持つことはなかった。ひとから恨まれることやひとを怨むこととは縁が少ない人だった。

【解説】

伯夷、叔斉については以下の文献からの引用にあるように清廉潔白な人柄であるだけでなく、寛容な人柄を孔子が評価している章句です。

伯夷・叔斉 孤竹君の二子である。共に父の国を譲り合って継がなかった。たまたま周の武王が殷の紂王を滅ぼし(前1100ごろ)、天下は周の治世となった。伯夷と叔斉は、たとえ紂王が暴虐であっても、臣下が君を誅することを不義として、周の国の穀物を食うことを恥じて、首陽山に入って餓死した(史記・伯夷叔斉列伝)。この話は極めて有名で、孟子は評して「聖の清なる者」(万章下)といった。

伯夷・叔斉は正義の人の代表として、司馬遷が史記の列伝第一巻に載せた人物で、また論語(162・述而第七14)でも触れる。孟子も「伯夷は其の君に非ざれば事へず、其の友に非ざれば友とせず。悪人の朝に立たず、悪人と言はず」(公孫丑上)といったように、極めて潔白であった。潔白な人は、不正不義を憎むのあまり、人を許すの雅量に乏しく、狭量になりがちで、人の怨みを買うことも多く、又潔癖さから人を怨むことにもなり勝ちであるが、伯夷と叔斉にはこういうところがなかった。罪を憎んで人をにくまない。この点が孔子の称賛に値したのだろう。

新釈漢文大系 論語 吉田賢抗著 明治書院刊

「論語」参考文献|論語、素読会
公冶長第五22< | >公冶長第五24


【原文・白文】
 子曰、伯夷叔斉、不念舊悪。怨是用希。
<子曰、伯夷叔齊、不念舊惡。怨是用希。>

(子曰わく、伯夷叔斉は、舊悪を念わず。怨是を用て希なり。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)は、舊悪(きゅうあく)を念(おも)わず。怨(うらみ)是(ここ)を用(もっ)て希(まれ)なり。


「論語」参考文献|論語、素読会
公冶長第五22< | >公冶長第五24


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