論語、素読会

斯の人にして而も斯の疾あるや|「論語」雍也第六08

伯牛が病気にかかった。孔先生が見舞いに行き、窓ごしにその手を取っておっしゃった。このような才能ある人物を失うのは天命なのかなぁ。こういう立派なひとなのにこのような病にかかるとは。こういう立派なひとなのにこのような病にかかるとは。|「論語」雍也第六08

【現代に活かす論語】
孔子は弟子の病床でつぶやきました。これは天命なのかなぁ、こういう立派な人なのにこのような病にかかるとは。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
09:50 「雍也第六」前半01-10 素読
2021.9.6収録

【解釈】

伯牛(はくぎゅう) … 冉伯牛(ぜんはくぎゅう)。姓は冉(ぜん)、名は耕(こう)、字は伯牛(はくぎゅう)。孔子より7歳若い。

伯牛疾有り。子之を問う。牖より其の手を執りて曰わく、之を亡せり命なるかな。斯の人にして而も斯の疾あるや。斯の人にして而も斯の疾あるや。|「論語」雍也第六08
伯牛有疾。子問之。自牖執其手曰、亡之命矣夫。斯人也而有斯疾也。斯人也而有斯疾也。

「有疾」(しつあり)は病気にかかる。「自牖」(まどより)、窓より。「亡之」(これをほろぼせり)はこのような才能ある人物を失うのは。「命矣夫」(めいなるかな)は天命なのかなぁ。

伯牛が病気にかかった。孔先生が見舞いに行き、窓ごしにその手を取っておっしゃった。このような才能ある人物を失うのは天命なのかなぁ。こういう立派なひとなのにこのような病にかかるとは。こういう立派なひとなのにこのような病にかかるとは。

【解説】

病人を目の前にして、はたして孔子が「亡くなる」という直接的な言葉を発することがあったのだろうかということから「亡之」(これをほろぼせり)を「こういう道理はない」と訳す文献[新釈漢文大系 論語]もあります。
伯牛の病は一説にはハンセン病だったといいます。ハンセン病は古くから世界各地に存在していた病気でした。感染力が非常に低く現代では完治する病気ですが、当時は不治の病と考えられていたとしても不思議ではありません。窓越しに手を握っている孔子と伯牛の姿を想像すると、なんとしても病床を見舞いたいと思う孔子、自分が感染するというリスクも踏まえて弟子の手を執り嘆いている姿、そして自分の将来を悲観しつつ師匠の情愛を受け止める伯牛が浮かんできます。
そこで、文法的に問題があるかもしれませんが「亡之」には孔子から伯牛を奪うようなニュアンスを含めると、論語で表現される孔子の弟子に対する愛情を表現できるような気がします。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六07< | >雍也第六09


【原文・白文】
 伯牛有疾。子問之。自牖執其手曰、亡之命矣夫。斯人也而有斯疾也。斯人也而有斯疾也。

(伯牛疾有り。子之を問う。牖より其の手を執りて曰わく、之を亡せり命なるかな。斯の人にして而も斯の疾あるや。斯の人にして而も斯の疾あるや。)
【読み下し文】
 伯牛(はくぎゅう)疾(しつ)有(あ)り。子(し)之(これ)を問(と)う。牖(まど)より其(そ)の手(て)を執(と)りて曰(のたま)わく、之(これ)を亡(ほろぼ)せり命(めい)なるかな。斯(こ)の人(ひと)にして而(しか)も斯(こ)の疾(やまい)あるや。斯(こ)の人(ひと)にして而(しか)も斯(こ)の疾(やまい)あるや。
※之(これ)亡(な)からん と読み下す場合もある。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六07< | >雍也第六09


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