孔先生がおっしゃった、人は生まれつきの本質に差はないが、習慣によってへだたりが大きくなる。|「論語」陽貨第十七02
【現代に活かす論語】
人は生まれたときに差はないが、その後の習慣によって差が大きくなるのです。
【解釈】
子曰わく、性相近きなり、習相遠きなり。|「論語」陽貨第十七02
子曰、性相近也、習相遠也。
「性」(せい)は人の生まれつきの本質、さが。「相」(あい)は互いに、ともに。「近」(ちかい)は似ているさま。「習」(ならう)は反復による行動様式、習慣。「遠」(とおい)はへだたりが大きい。
孔先生がおっしゃった、人は生まれつきの本質に差はないが、習慣によってへだたりが大きくなる。
【解説】
この章句は、「子曰わく、教有りて類無し。|「論語」衛霊公第十五39」とともに、孔子の人間観を表す章句です。生まれつきに差がなく、その後の学びやどのような環境に身を置くかによって違いが生じるという考え方が伝わってきます。論語から伝わる孔子の考えから、性善説を感じることはありません。生まれつきについて敢えて触れていないとさえ感じます。その一端がこの章句にも表れています。「孔先生が語られる、ひとの生まれつきや宇宙の道理法則については、(なかなか)拝聴する機会がない。夫子の性と天道とを言うは、得て聞くべからざるなり。|「論語」公冶長第五13」
このように、孔子はあくまでも学びを通じた人間形成を重視して、弟子と研鑽を積んでいたのだと思います。
「論語」参考文献|論語、素読会
陽貨第十七01< | >陽貨第十七03
【原文・白文】
子曰、性相近也、習相遠也。
(子曰わく、性相近きなり、習相遠きなり。)
【読み下し文】
子(し)曰(のたま)わく、性(せい)相(あい)近(ちか)きなり、習(ならい)相(あい)遠(とお)きなり。
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