孔先生がおっしゃった、善いことを見ては及んでいないかのようにする。善くないことをみては、熱い湯に手を入れたときのようにする(すぐ手を引くように距離を取る)。私はそのような人を見、そのような話を聞いたことがある。隠居していてもその志を追い求め、正しいことを行うことによってあるべき姿に達しようとする。私はその話を聞いたことがあるが、未だにそういう人を見たことがない。|「論語」季氏第十六11
【現代に活かす論語】
善いことに対しては、まだまだそこまで達していないと振る舞い、善くないことからは即刻距離を取る。表舞台に立っていなくても志を追い求め、自分が正しいことを行うことで、あるべき姿に達しようとする。こんな人の上に立つ立派なリーダーを見ることはない。
【解釈】
孔子曰わく、善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。吾其の人を見る、吾其の語を聞く。隠居して以て其の志を求め、義を行いて以て其の道を達す。吾其の語を聞く、未だ其の人を見ざるなり。|「論語」季氏第十六11
孔子曰、見善如不及、見不善如探湯。吾見其人矣、吾聞其語矣。隠居以求其志、行義以達其道。吾聞其語矣、未見其人也。
「善」(ぜん)はよいこと、高く評価されること。「如」(ごとくす)は同じくする、等しくする、…のようにする。「探」(さぐる)は手を伸ばし入れる。「語」(ご)は話、ことば。「以」(もって)はしかしながら、かえって。それによって、それで。「義」(ぎ)は正しいこと。道義。『義』とは?|論語、素読会 「隠居」(いんきょ)は俗世を避けて隠れ住む、世を避けて仕官しない、またその人。「道」(みち)は道理、道義、あるべき姿。『道』とは?|論語、素読会
孔先生がおっしゃった、善いことを見ては及んでいないかのようにする。善くないことをみては、熱い湯に手を入れたときのようにする(すぐ手を引くように距離を取る)。私はそのような人を見、そのような話を聞いたことがある。世を避けて仕官しないでいてもその志を追い求め、正しいことを行うことによってあるべき姿に達しようとする。私はその話を聞いたことがあるが、未だにそういう人を見たことがない。
【解説】
孔子は、つつしみ深く、研鑽を積む姿を、自分自身や弟子に求めます。正しくないことや正しくない環境に身を置かずに距離をおくことを他の章句でも求めています。この章句の前半はシンプルな表現ですが、次に紹介する章句を参考に理解するといいでしょう。
「危険な国には足を踏み入れず、道理が乱れた国には居ない。天下に道理が有れば世の中に出て任官し、道理がなければ表から隠れる。|「論語」泰伯第八13」
また、正しい政事が行われていない場合は、任務を離れて、政事の世界から隠れるように距離をおくことを推奨しています。このような人物を見たことがないと本章句では語りますが、論語の中では、弟子の顔淵や大夫・蘧伯玉はこの条件をクリアしているとして、評価しています。
「孔先生が顔淵におっしゃった、任用されれば政治を正しく行い、退任すれば世の中からかくれる。ただこのように行えるのは私とお前くらいかなぁ。|「論語」述而第七10」
「立派なリーダーだな衛の大夫・蘧伯玉は、国の政事が正しく行われているときには国に仕え、国の政事が行われていないときには、(能力を)まとめて懐にしまってしまう。|「論語」衛霊公第十五07」
この章句の後半では、隠れたのちも研鑽を続けよ。という孔子の願いが込められています。恐らく孔子の後年の章句であると思うのは、これから経験していく若い弟子たちに向けたメッセージに感じるからです。孔子が、見たことがないと表現する章句の場合、その多くからは、そのような尊い人物を目指して欲しいという思いが伝わります。
「論語」参考文献|論語、素読会
季氏第十六10< | >季氏第十六12
【原文・白文】
孔子曰、見善如不及、見不善如探湯。吾見其人矣、吾聞其語矣。隠居以求其志、行義以達其道。吾聞其語矣、未見其人也。
<孔子曰、見善如不及、見不善如探湯。吾見其人矣、吾聞其語矣。隱居以求其志、行義以達其道。吾聞其語矣、未見其人也。>
(孔子曰わく、善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。吾其の人を見る、吾其の語を聞く。隠居して以て其の志を求め、義を行いて以て其の道を達す。吾其の語を聞く、未だ其の人を見ざるなり。)
【読み下し文】
孔子(こうし)曰(のたま)わく、善(ぜん)を見(み)ては及(およ)ばざるが如(ごと)くし、不善(ふぜん)を見(み)ては湯(ゆ)を探(さぐ)るが如(ごと)くす。吾(われ)其(そ)の人(ひと)を見(み)る、吾(われ)其(そ)の語(ご)を聞(き)く。隠居(いんきょ)して以(もっ)て其(そ)の志(こころざし)を求(もと)め、義(ぎ)を行(おこな)いて以(もっ)て其(そ)の道(どう)を達(たっ)す。吾(われ)其(そ)の語(ご)を聞(き)く、未(いま)だ其(そ)の人(ひと)を見(み)ざるなり。
「論語」参考文献|論語、素読会
季氏第十六10< | >季氏第十六12