論語、素読会

時なるかな時なるかな|「論語」郷党第十18

人の気配に気付いて鳥が飛び上がり、上空で旋回した後、降りてとどまる。孔先生がおっしゃった、山の架け橋に雌の雉がいる、よい時だ、よい時だ。子路が雉に餌を与えた。雉は三回臭いを嗅いで飛び去った。|「論語」郷党第十18

【現代に活かす論語】
例えば、キジのような用心深さで生活をおくることが大事である。(キジは用心深い鳥とされています)

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
12:45「郷党第十」前半10 – 18 素読
2022.12.16収録

【解釈】

子路(しろ) … 姓は仲(ちゅう)、名は由(ゆう)、字は子路・季路(きろ)。孔子より9歳若く孔子門人の中で最年長。孔子のボディガード役を果たした。

色みて斯に挙り、翔りて而して後に集まる。曰わく、山梁の雌雉、時なるかな時なるかな。子路之を共す。三たび嗅て作つ。|「論語」郷党第十18
色斯挙矣、翔而後集。曰、山梁雌雉、時哉時哉。子路共之。三嗅而作。

「色」(いろ)はひとの顔色。「挙」(あがる)は飛ぶ。「翔」(かける)は鳥が羽ばたかずに旋回して飛ぶ。「集」(とどめる)はひと所にとどまる。「山梁」(さんりょう)は山の架け橋。「時」(とき)は時期に適したさま。「共」(きょうす)は餌を与える。

人の気配に気付いて鳥が飛び上がり、上空で旋回した後、降りてとどまる。孔先生がおっしゃった、山の架け橋に雌の雉がいる、よい時だ、よい時だ。子路が雉に餌を与えた。雉は三回臭いを嗅いで飛び去った。

【解説】

この章句は、さまざまな解釈があり、難解であると言われています。「色斯挙矣、翔而後集」これが詩の一節だという解釈や、この雉の様子を孔子がなにかになぞらえたという解釈があります。本ブログでは、敢えて先人たちの解釈を参考にせずに解釈しようと思います。

この章句は、郷党第十の最後の章句です。郷党第十の編者は孔子の日常の様子を通して、礼節や大切な生活習慣など、当時すでに一部の人にないがしろにされていたものを伝えようとしています。同時に孔子のありのままを伝えることで、人間・孔子を読む人の意識に芽生えさせ、身近に感じさせることで、孔子の学びに対して親しみや懐かしささえも抱かせようとしているように感じます。この章句の場面は、雌の雉を捕らえようとする、孔子と子路の姿を切り取った場面です。野山を散策しているのか、旅の途中なのか、山の中に分け入った孔子一行の気配に驚いた雉を、子路が餌付けしようとしたが失敗したという、単なる日常の情景描写だと思います。餌を与えているという点で、狩りではないと感じます。ゆったりとした弟子との時間の流れ、孔子と弟子たちの笑い声さえ聞こえてきそうです。

三度嗅いで食しなかった雉の用心深さを郷党第十全体の締め括りとして表現しようとしたと考えることもできます。人の気配で飛び立った雉が、子路が与えようとした餌に釣られて餌の所に来た。しかし、思い直して去ったという話です。雉は用心深く鳴き声が聞こえても姿が見えないと言われます。郷党第十には食事に関する章句が多いので、食べものには慎重にと言う暗示とも取れます。これが鳩であれば躊躇なくついばむかもしれません。
加えて、ここに学びを見出すとすれば、雉の姿を孔子たちが君子の道に臨む姿と重ねることなのかもしれませんが、三度嗅ぎて作つという部分が具体的すぎるので、考えすぎかもしれません。


「論語」参考文献|論語、素読会
郷党第十17< | >先進第十一01


【原文・白文】
 色斯挙矣、翔而後集。曰、山梁雌雉、時哉時哉。子路共之。三嗅而作。
<色斯舉矣、翔而後集。曰、山梁雌雉、時哉時哉。子路共之。三嗅而作。>

(色みて斯に挙り、翔りて而して後に集まる。曰わく、山梁の雌雉、時なるかな時なるかな。子路之を共す。三たび嗅て作つ。)
【読み下し文】
 色(いろ)みて斯(ここ)に挙(あが)り、翔(かけ)りて而(しこう)して後(のち)に集(とど)まる。曰(のたま)わく、山梁(さんりょう)の雌雉(しち)、時(とき)なるかな時(とき)なるかな。子路(しろ)之(これ)を共(きょう)す。三(み)たび嗅(か)て作(た)つ。


「論語」参考文献|論語、素読会
郷党第十17< | >先進第十一01