論語、素読会

疾言せず、親指せず|「論語」郷党第十17

(孔先生は、)牛車・馬車に乗るときは必ず正しく立って綱を手に執った。車の中では振り返って見ることをせず、早口で話さず、車外の人を指さすこともしなかった。|「論語」郷党第十17

【現代に活かす論語】
車の中で話に夢中になったり、人を指さしたり、乗り降りのときも特に注意しない。生活態度としては気を付けたいものです。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
04:00「郷党第十」前半10 – 18 素読
2022.12.16収録

【解釈】

車に升りては、必ず正しく立ちて綏を執る。車の中にては内顧せず。疾言せず、親指せず。|「論語」郷党第十17
升車、必正立執綏。車中不内顧。不疾言、不親指。

「升」(のぼる)は昇、低い所から高い所へ移る、上にあがる。「綏」(すい)は車に乗る際につかまる綱。「内顧」(ないこ)は振り返って見る。「疾言」(しつげん)は早口で話す。「親指」(しんし)は直接指さす。

(孔先生は、)牛車・馬車に乗るときは必ず正しく立って綱を手に執った。車の中では振り返って見ることをせず、早口で話さず、車外の人を指さすこともしなかった。

【解説】

孔子が牛車や馬車に乗るときの様子を表した章句です。乗るときは綱を使って安全に上り、振り返って振り落とされるようなことがないように、早口で話して舌を噛むようなことがないように、車の上から誰かを指さすような失礼なことがないように、気を遣ったということです。これは、乗車の際のマナーを孔子の姿を借りて伝えようとしているという一面もあるのではないでしょうか。


「論語」参考文献|論語、素読会
郷党第十16< | >郷党第十18


【原文・白文】
 升車、必正立執綏。車中不内顧。不疾言、不親指。

(車に升りては、必ず正しく立ちて綏を執る。車の中にては内顧せず。疾言せず、親指せず。)
【読み下し文】
 車(くるま)に升(のぼ)りては、必(かなら)ず正(ただ)しく立(た)ちて綏(すい)を執(と)る。車(くるま)の中(なか)にては内顧(ないこ)せず。疾言(しつげん)せず、親指(しんし)せず。


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