論語、素読会

相くるに維れ辟公あり、天子穆穆たりと|「論語」八佾第三02

【原文】
 三家者以雍徹。子曰、相維辟公、天子穆穆。奚取於三家之堂。

(三家者雍を以て徹す。子曰わく、相くるは維れ辟公、天子穆穆たりと。奚ぞ三家の堂に取らん。)
【読み下し文】
 三家者(さんかしゃ)雍(よう)を以(もっ)て徹(てっ)す。子(し)曰(のたま)わく、相(たす)くるは維(こ)れ辟公(へきこう)、天子(てんし)穆穆(ぼくぼく)たりと。奚(なん)ぞ三家(さんか)の堂(どう)に取(と)らん。

『論語、素読会』
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00:00​ 章句の検討

10:10​ 「八佾第三」01-26 素読
2021.4.2収録


三家者(さんかしゃ) … 三桓(さんかん)。魯の大夫、孟孫氏・叔孫氏・季孫氏の三氏の家。「論語」の登場人物|論語、素読会

【解釈】

三家者以雍徹。

「雍」(よう)は、「詩経」の周公の編名。天子が宗廟に祭るときはこれを歌って供物を捧げた。「徹」(てつ)は撤と同じ、祭りが終わって供物を下げること。
大夫は、祖先の祭りの際に詩経の一節「雍」を歌わせた。

子曰、相維辟公、天子穆穆。

「相維辟公、天子穆穆」(たすくるはこれへきこう、てんしぼくぼくたりと)は、雍の中の一句。「相」(たすくる)は助と同じ。「辟公」(へきこう)は諸侯の意。「穆穆」(ぼくぼく)は態度が厳かで奥ゆかしい様子、威厳があって上品な佇まい。
孔先生がおっしゃった、「雍」の一句にある「祭りを助けるのは諸侯、天子は威厳があって上品に佇んでいる。」とある。

奚取於三家之堂。

「堂」(どう)は家の廟(びょう)、先祖を祭るところ。
どうして、大夫である三家の堂で「雍」を用いることができようか。


【解説】

大夫の越権行為を批判する章句です。八佾第三にあって、ひとつ前の章句でも先祖の霊を祭る舞を天子を祭る規模で自分たちの庭で舞わせていると批判しています。このような大夫の非礼な態度、従来の礼節を著しく逸脱する行為があり、誰も止められない状況下で、孔子が痛烈に批判していた様子を示す句です。


「論語」参考文献|論語、素読会
八佾第三01< | >八佾第三03


【現代に活かす論語】
リーダーは威厳があって上品に佇み、さまざまの事案を助けるのは部下。部下がリーダーのように振る舞ったり、無礼な態度をとってはならない。