論語、素読会

回や、其の心三月仁に違わず|「論語」雍也第六05

【原文】
 子曰、回也、其心三月不違仁。其余則日月至焉而已矣。
<子曰、回也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣。>

(子曰わく、回や、其の心三月仁に違わず。其の余は則ち日に月に至るのみ。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、回(かい)や、其(そ)の心(こころ)三月(さんがつ)仁(じん)に違(たが)わず。其(そ)の余(よ)は則(すなわ)ち日(ひ)に月(つき)に至(いた)るのみ。


回(かい) … 顔淵(がんえん)。姓は顔、名は回、字は子淵(しえん)。孔子より30歳若い。孔子よりも早く、30歳(一説では40歳とも)で死んだ。秀才で、門人の中で一番の学問好き。孔子の第一の弟子ともいわれる。
もの静かだが孔子の教えを充分に実践しており、一を聞いて十を知る孔子もかなわない部分を持つ秀才。

『論語、素読会』
YouTube動画
00:00 章句の検討
10:20 「雍也第六」前半01-10 素読
2021.8.30収録

【解釈】

子曰、回也、其心三月不違仁。其余則日月至焉而已矣。

「三月」(さんがつ)は久しくの意。「違」(たがう)は離れる。「仁」(じん)は心の徳を重ね徳性を高めること。『仁』とは?|論語、素読会「其余」(そのよ)は、回以外の弟子たち。「日月」(ひにつきに)は日に一度、月に一度。「至焉」(いたる)は仁を行うに至るの意。「而已矣」(のみ)は強い限定。
孔先生がおっしゃった、回や、おまえの心は久しい間でも仁から離れることはないね。ほかのものはせいぜい日に一度や月に一度、仁を行う程度だ。


【解説】

常に仁に居るのが顔淵でした。孔子は、『君子は短い食事の時間であっても「仁」の道から離れることなく、あわただしいときも必ず「仁」の道に居て、つまずき倒れそうな場合でも必ず「仁」の道から離れることはない。君子は食を終わるの間も仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於てし、顚沛にも必ず是に於てす|「論語」里仁第四05』といって、「仁」の中に身を置いて過ごすことを望んでいます。思い出したときに「仁」を行うという程度ではありません。この条件をクリアしていたのが顔淵だという章句です。顔淵に一目置いていた理由が分かります。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六04< | >雍也第六06


【現代に活かす論語】
常に心の中に思いやりを宿らせよう。その都度思い出して思いやるのではなく。