(孔先生が)玉製の礼器を手に執るときは、身をかがめておそれ敬い、持ちこたえきれないかのようだった。上げるときは会釈するように、下げるときは授かるようにした。顔色を変えておののきふるえるようにし、足は小刻みに歩き従うこともあった。貢ぎ物を献上する儀式では特別な表情があった。自分の贈り物を持って表敬する際にはやわらかい顔つきになった。|「論語」郷党第十05
【現代に活かす論語】
公的な式事は緊張を以て執り行うが、私的な行いに際しては、上司に対してやわらかな表情で対するのがよい。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
07:05「郷党第十」前半01 – 09 素読
2022.10.19収録
【解釈】
圭を執れば、鞠躬如たり。勝えざるが如し。上ぐることは揖するが如く、下すことは授くるが如く。勃如として戦く色あり。足は蹜蹜如として循うこと有り。享礼には容色あり。私覿には愉愉如たり。|「論語」郷党第十05
執圭、鞠躬如也。如不勝。上如揖、下如授。勃如戦色。足蹜蹜如有循。享礼有容色。私覿愉愉如也。
「圭」(けい)は玉製の礼器。「鞠躬如」(きっきゅうじょ)は身をかがめておそれ敬うさま。「勝」(たえる)はもちこたえる、忍ぶ。「揖」(ゆう)は両手を組んで会釈する。「勃」(ぼつ)は顔色が変わるさま。「戦」(おののく)はふるえる。「蹜」(しゅく)は小またで歩く。小きざみに歩く。「循」(したがう)は守り行う。「享」(きょう)は貢ぎ物を献上する。「容色」(ようしょく)は表情、顔色。「私覿」(してき)は使臣が表敬のための贈り物を持って私的に国君に面会する。「愉愉」(ゆゆ)は顔色のやわらぎ喜ぶさま。顔つきのやわらかいさま。
(孔先生が)玉製の礼器を手に執るときは、身をかがめておそれ敬い、持ちこたえきれないかのようだった。上げるときは会釈するように、下げるときは授かるようにした。顔色を変えておののきふるえるようにし、足は小刻みに歩き従うこともあった。貢ぎ物を献上する儀式では(特別な)表情があった。自分の贈り物を持って表敬する際にはやわらかい顔つきになった。
【解説】
君主に献上する際の所作について表している章句です。他の章句では、役所にいるときに身をかがめて慎みながら足早に移動する孔子の姿が表されていました。この章句でも祭礼に臨む姿勢は同様な緊張感漂うものです。しかし、孔子が自ら献上する際は穏やかであったというようすが、今回特筆すべき部分だと思います。公私の区切りと私欲のないようすがここから伝わってくるのではないでしょうか。
「論語」参考文献|論語、素読会
郷党第十04< | >郷党第十06
【原文・白文】
執圭、鞠躬如也。如不勝。上如揖、下如授。勃如戦色。足蹜蹜如有循。享礼有容色。私覿愉愉如也。
<執圭、鞠躬如也。如不勝。上如揖、下如授。勃如戰色。足蹜蹜如有循。享禮有容色。私覿愉愉如也。>
(圭を執れば、鞠躬如たり。勝えざるが如し。上ぐることは揖するが如く、下すことは授くるが如く。勃如として戦く色あり。足は蹜蹜如として循うこと有り。享礼には容色あり。私覿には愉愉如たり。)
【読み下し文】
圭(けい)を執(と)れば、鞠躬(きっきゅう)如(じょ)たり。勝(た)えざるが如(ごと)し。上(あ)ぐることは揖(ゆう)するが如(ごと)く、下(くだ)すことは授(さず)くるが如(ごと)く。勃(ぼつ)如(じょ)として戦(おのの)く色(いろ)あり。足(あし)は蹜蹜(しゅしゅく)如(じょ)として循(したが)うこと有(あ)り。享礼(きょうれい)には容色(ようしょく)あり。私覿(してき)には愉愉(ゆゆ)如(じょ)たり。
「論語」参考文献|論語、素読会
郷党第十04< | >郷党第十06