昨晩、集団的自衛権の行使が閣議決定された翌日に、ウチナーの唄者・古謝美佐子さんのコンサートに、小学生の子どもを連れて行ってきました。この件で感じた「必然」について
古謝美佐子さんの「沖縄のこころのうた」コンサートはこれで3度目くらいです。
実は、このチケット、気がついたら2枚購入していたのです。久々に聴きたかった気持ちがあったのは確かですが、まず、購入動機が不明でチケット自ら送られてきた感じ。大変不思議です。他に行きたくても諦めている公演がたくさんあるのに。
そして、コンサートが近づくにつれ小学生の子どもを連れて行きたいと思いました。これまでなら友人と行くか、子どもを預けて嫁と行くという選択肢でしたが、これもある意味、無意識の決断。
6月23日は沖縄に米軍が上陸し沖縄戦が終結した「慰霊の日」でした。この時期にこのコンサートが行われたことは主催者側の意図するところですが、本日(2014年7月2日)は集団的自衛権の行使が閣議決定された翌日です。
集団的自衛権の行使が閣議決定されたタイミングに、古謝美佐子さんのコンサートに居る必然性に驚いたのでした。
古謝美佐子さんのコンサート「沖縄のこころのうた」は、その構成の中で、戦前、戦時中、戦後に生まれた数々の沖縄民謡を紹介します。昨晩はブラジル移民が故郷を想う「南方小唄」や、サイパンで生き残った人が日本を想う「サイパン数え歌」から始まるメドレーで当時の人々の苦労に思いを馳せることができました。
古謝美佐子さんと佐原一哉さんはとても言葉少なに、でも鮮烈な当時のウチナーンチュ(沖縄人)の記憶を私に投げかけてきます。そして沖縄の現状も。辺野古移設の問題は本島北部の自然は子どもたちのために残したいとも語り、与那国には自衛隊基地が作られようとしていることを伝えます。
私の中では、沖縄民謡と沖縄史と繋がっている
そもそも私が沖縄民謡のCDを集め(500枚は越えていると思う)、沖縄民謡のライブへ赴き、沖縄芸能関連の書物を読む理由は、琉球王朝時代から太平洋戦争そして占領下の歴史への興味と密接に関係しています。そしてそれは私の祖父が戦地で他界したことと無関係ではありません。沖縄民謡を聴くことは私の中の「戦争」に対する想いを、時には鎮魂し、時には荒立てるのです。
今回のこのコンサートに立ち会えたことは、様々な面で「必然」として私の心に刻まれました。
隣で、必死に言葉をのみ込もうとする子どもを見ながら私がなぜ沖縄民謡を聴いているか再確認をし、そしてこの場に子どもと居る必然性をかみ締めた一夜でした。
子どもの記憶にこのコンサートはほとんど残らないと思います。しかし、沖縄や戦争そして憲法9条のことに触れる度に、私はこのコンサートのことを繰り返し子どもに話します、記憶に残るように。子どもが体験を通して自分のことと少しでも感じることが大事だと思っています。
古謝美佐子さんと佐原一哉さんに感謝。