今週末の素読会では、小学5年生の2人に 北尾吉孝日記の「志とは」を読んでもらいました。
「敬・恥・憤」のメカニズムが働かなければ、人は変わる時が永遠に訪れないでしょう。
という点について彼らは、まず「敬」は理解できる。
「恥」が分からないと言いました。
私が、例えば予習を指定なければ、恥ずかしくて手を挙げられないという気持ちだよと言うと、すぐに理解した様子。
続いて、「憤」は恥ずかしさをそのままにしないで、自分自身を奮起する気持ちだというと、
スポーツだとそのような気持ちになるが、毎日の勉強だとそのような気持ちにならないと言いました。
私は、その通りだと。私もそう思うと伝えたうえで、「目的」や「目標」を立てると、「憤」の気持ちが出てくると思うと伝えると、2人はなんとなく腑に落ちたような感じでした。
というのも、その後、ひとりはどこの高校に行くか決めたと言い、もう一人はその言葉に反応していました。
いずれにしても、2人が刺激し合いながら、お互いの目標に向かって成長してくれることを願っています。