孔先生がおっしゃった、ひとの過ち、過失は、それぞれその身近な人や仲間において起こるものだ。したがって、過失の内容を観察すると、その人の心のありよう、心根を知ることができる。|「論語」里仁第四07
【現代に活かす論語】
失敗にこそそのひととなりが現れる。普段の身の置き方が大切です。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
05:00 「里仁第四」01-26 素読 2
021.5.21収録
【解釈】
子曰わく、人の過や、各々其の党に於いてす。過を観て斯に仁を知る。|「論語」里仁第四07
子曰、人之過也、各於其党。観過斯知仁矣。
「過」(あやまち)は考えが足りずに思わず悪いことになること。「党」(とう)同じ類い、親兄弟や仲間のこと。「仁」(じん)は広くひとの思いやりの心を差すが、ここではひとの心の有り様や心根を差す。『仁』とは?|論語、素読会
孔先生がおっしゃった、ひとの過ち、過失は、それぞれその身近な人や仲間において起こるものだ。したがって、過失の内容を観察すると、その人の心のありよう、心根を知ることができる。
【解説】
ひとの間違い、過失の内容を観ると、その人の人となりを知ることができるといいます。ひとは生まれ育った環境や現在付き合っている仲間に影響を受けるとし、過失の内容にはその環境により形成された人となりが現れるのです。
失敗にこそひとの内面が出ると言うことだと思います。孔子が思う「仁」をうかがえる章句です。
「論語」参考文献|論語、素読会
里仁第四06< | >里仁第四08
【原文・白文】
子曰、人之過也、各於其党。観過斯知仁矣。
<子曰、人之過也、各於其黨。觀過斯知仁矣。>
(子曰わく、人の過や、各々其の党に於いてす。過を観て斯に仁を知る。)
【読み下し文】
子(し)曰(のたま)わく、人(ひと)の過(あやまち)や、各々(おのおの)其(そ)の党(とう)に於(お)いてす。過(あやまち)を観(み)て斯(ここ)に仁(じん)を知(し)る。
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