論語、素読会

仁に当りては、師にも譲らず|「論語」衛霊公第十五36

孔先生がおっしゃった、仁・心の徳を重ね徳性を高めることに当たっては、先生にも遠慮しない。|「論語」衛霊公第十五36

【現代に活かす論語】
徳性を重ねるに当たっては、先生にも遠慮しない。

【解釈】

子曰わく、仁に当りては、師にも譲らず。|「論語」衛霊公第十五36
子曰、当仁、不譲於師。

「仁」(じん)は心の徳を重ね徳性を高めること。『仁』とは?|論語、素読会 「当」(あたって)は…に対し、…に面と向かって。「師」(し)は先生、模範となる人。「譲」(ゆずる)は受けとるのが当然であるものをかえって辞退する、遠慮する。

孔先生がおっしゃった、仁・心の徳を重ね徳性を高めることに当たっては、先生にも遠慮しない。

【解説】

孔子は年長者の言葉に耳を傾けよと言います。年長者に配慮することと、従うことを、孔子は区別していることが他の章句から伝わってきますが、この章句ではより明確に分かりやすく伝えています。
「仁」を行うにあたり、師に遠慮しない場面とはどんな場面でしょうか。孔子を含めて師を指す場合、「仁」の状態にあって孔子に遠慮するという状況自体考えにくいので、この師とは一般的な先生を指していると考えます。師の中には年長者に対する配慮を求める人物もいるでしょうが、孔子は殊「仁」においては遠慮は要らないと一蹴しています。それだけ「仁」が本にあるということでしょう。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五35< | >衛霊公第十五37


【原文・白文】
 子曰、当仁、不譲於師。
<子曰、當仁、不讓於師。>

(子曰わく、仁に当りては、師にも譲らず。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、仁(じん)に当(あた)りては、師(し)にも譲(ゆず)らず。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五35< | >衛霊公第十五37


※Kindle版