論語、素読会

難いかな今の世に免れんこと|「論語」雍也第六14

【原文】
 子曰、不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎免於今之世矣。

(子曰わく、祝鮀の佞あらずして、宋朝の美あるは、難いかな今の世に免れんこと。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、祝鮀(しゅくだ)の佞(ねい)あらずして、宋朝(そうちょう)の美(び)あるは、難(かた)いかな今(いま)の世(よ)に免(のが)れんこと。


祝鮀(しゅくだ) … 名は鮀。祝は宗廟の祭官の職。字は子魚。衛の大夫。口才があった。

宋朝(そうちょう) … 宋の公子。名は朝。美男であった。
※春秋時代における公子とは、王ならびに諸侯の子弟。

【解釈】

子曰、不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎免於今之世矣。

「佞」(ねい)は口才、雄弁であること。
孔先生がおっしゃった、祝鮀のような口才がなくて、宋朝のような美貌だけであれば、この世の中にあって困難を免れるのはむずかしいなあ。


【解説】

文献によれば、「不」の文字が、ふたつの「有」を否定していると解釈するものと佞だけを否定する解釈が存在するそうです。例えば[仮名論語]の解釈では(祝鮀ほど口がうまく、宋朝ほどの美男でないと、今の世では、無事につとまらないねえ)とし、[新釈漢文大系 論語]では(祝鮀のように弁説によって事をさばくという口才がなくて、宋朝のような美貌だけが幅をきかせたら、当世のような衰乱の時に、危機を免れることは困難であるなあ。)と解釈しています。どちらにも支持者がありまたその理由があるそうです。
まず、「佞」の是非についてですが、孔子は佞である必要はないと言っていますが、佞を否定してはいません。焉んぞ佞を用いん|「論語」公冶長第五05 祝鮀は衛の霊公を助けて雄弁を以て衛の対面を保ったと伝わるので、国難にあって雄弁であることは必ずしも否定されるものではありません。宋朝は衛の霊公の夫人南子との不倫のうえ大夫にさせたことが伝えられていたため、美男であることで登用されることの危うさを認識していたと考えられます。
その上で、今の世を免れることが難しいと文を結んだとき、二つの解釈のどちらが納得できるかという判断において、私は後者、美貌のみの危うさを伝える解釈を支持しようと考えました。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六13< | >雍也第六15


【現代に活かす論語】
組織の人材登用において、雄弁ではなく、美貌ということで採用されるのであれば、この組織で世の中を切り抜けていくのは難しい。