論語、素読会

仁を求めて仁を得たり。又何をか怨みん|「論語」述而第七14

【原文】
 冉有曰、夫子為衛君乎。子貢曰、諾、吾将問之。入曰、伯夷叔斉、何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁。又何怨。出曰、夫子不為也。
<冉有曰、夫子爲衞君乎。子貢曰、諾、吾將問之。入曰、伯夷叔齊、何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁。又何怨。出曰、夫子不爲也。>

(冉有曰わく、夫子は衛の君を為けんか。子貢曰わく、諾、吾将に之を問わんとす。入りて曰わく、伯夷叔斉は、何人ぞや。曰わく、古の賢人なり。曰わく、怨みたるか。曰わく、仁を求めて仁を得たり。又何をか怨みん。出でて曰わく、夫子は為けざるなり。)
【読み下し文】
 冉有(ぜんゆう)曰(い)わく、夫子(ふうし)は衛(えい)の君(きみ)を為(たす)けんか。子貢(しこう)曰(い)わく、諾(だく)、吾(われ)将(まさ)に之(これ)を問(と)わんとす。入(い)りて曰(い)わく、伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)は、何人(なにびと)ぞや。曰(のたま)わく、古(いにしえ)の賢人(けんじん)なり。曰(い)わく、怨(うら)みたるか。曰(のたま)わく、仁(じん)を求(もと)めて仁(じん)を得(え)たり。又(また)何(なに)をか怨(うら)みん。出(い)でて曰(い)わく、夫子(ふうし)は為(たす)けざるなり。


衛君(えいくん、えいのきみ) … 名は輒(ちょう)。出公(しゅっこう)といい、出公輒と呼ぶ。衛の霊公の孫であり、荘公蒯聵(しょうこうかいがい)の子。蒯聵が母の南子の品行の悪いのを恥じて殺そうとしたが失敗し、衛を出て宋から晋に亡命した。間もなく霊公が死に、輒が即位して出公と称したが父の蒯聵がこれを認めず、以後16年にわたり親子の争いが続き、出公輒はついに魯に逃れた。[論語と孔子の事典

伯夷(はくい) … 名は允(いん)
叔斉(しゅくせい) … 名は致(ち)。殷末、孤竹という小国の公子で、伯夷の弟。
舊悪を念わず。怨是を用て希なり|「論語」公冶長第五23
 ※清廉潔白な人柄であるだけでなく、寛容な人柄を孔子が評価している。

伯夷・叔斉 孤竹君の二子である。共に父の国を譲り合って継がなかった。たまたま周の武王が殷の紂王を滅ぼし(前1100ごろ)、天下は周の治世となった。伯夷と叔斉は、たとえ紂王が暴虐であっても、臣下が君を誅することを不義として、周の国の穀物を食うことを恥じて、首陽山に入って餓死した(史記・伯夷叔斉列伝)。

新釈漢文大系 論語 吉田賢抗著 明治書院刊

冉有(ぜんゆう) … 姓は冉(ぜん)、名は求(きゅう)また有(ゆう)。字は子有(しゆう)。孔子より29歳若い。温和な性格だったようです。

子貢(しこう) … 姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢(しこう)。孔子より31歳若い。「論語」の中で孔子との問答がもっとも多い。言葉巧みな雄弁家で自信家だったが、孔子には聡明さを褒められ、言葉の多さを指摘されている。経済面で能力が高かったと言われている。

【解釈】

冉有曰、夫子為衛君乎。子貢曰、諾、吾将問之。

「夫子」(ふうし)は孔子のこと。「為」(たすく)は助ける。「諾」(だく)は軽く承諾の気持ちを表す。
冉有が言った、孔先生は衛の君、出公輒(しゅっこうちょう)をお助けになるだろうか? 子貢が応えて言った、よし、私が先生に尋ねてみよう。

入曰、伯夷叔斉、何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁。又何怨。出曰、夫子不為也。

「入」(いりて)は部屋に入ること。「怨」(うらみたる)は、心の中の後悔や不満。伯夷と叔斉の有名な境遇を踏まえて尋ねた。「仁」(じん)とはひとの思いやりや情愛を尊んで筋道を通すこと。『仁』とは?|論語、素読会 「出」(いでて)は部屋に入ること。
子貢は孔先生の部屋に入って尋ねた。伯夷と叔斉はどういう人物でしたでしょうか。孔先生がおっしゃった、昔の賢人だよ。子貢は尋ねた、彼らは後悔したのでしょうか。孔先生がおっしゃった、彼らはひとの仁を求めて仁を得ることができた。何を後悔することがあっただろうか。子貢は孔先生の部屋から出て言った、孔先生は出公輒を助けないよ。


【解説】

孔子が亡くなったのは紀元前479年、輒が衛公(出公)となったのが紀元前493年だったので孔子は60歳後半でした。このとき門人たちはこの衛の国の内紛についていろいろと話し合っていたのでしょう、門人を代表して子貢が孔子に尋ねるのですが、その尋ね方が気が利いています。
単刀直入に衛のことを聞くのではなく、紂王を武王が討ったことに対する伯夷と叔斉の対応になぞらえて、ひとの道について孔子の信念を聞き出そうとします。
直接口に出さないことで禍を避ける意図があったという文献の解釈はなるほどその通りだと思います。
孔子は当然、子貢の質問の意図に気付いて応えます。孔子が重要と考えるのはひとの道理であり、親子の位をめぐる争いは道理にもとる行為と映っていたと、子貢が判断するに足る回答だったということなのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
述而第七13< | >述而第七15


【現代に活かす論語】
ひとの道理に背くような行為をするひとを助けるべきでしょうか。孔子はそのようなひとを助けませんでした。

ひとの道理を求めその道理を体得できたひとが何を後悔することがあるでしょう。