論語、素読会

仁者は難きを先にして獲ることを後にす、仁と謂うべし|「論語」雍也第六20

【原文】
 樊遅問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣。問仁、曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣。

(樊遅知を問う。子曰わく、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂うべし。仁を問う、曰わく、仁者は難きを先にして獲ることを後にす、仁と謂うべし。)
【読み下し文】
 樊遅(はんち)知(ち)を問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、民(たみ)の義(ぎ)を務(つと)め、鬼神(きしん)を敬(けい)して之(これ)を遠(とお)ざく、知(ち)と謂(い)うべし。仁(じん)を問(と)う、曰(のたま)わく、仁者(じんしゃ)は難(かた)きを先(さき)にして獲(と)ることを後(あと)にす、仁(じん)と謂(い)うべし。

『論語、素読会』
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00:00 章句の検討
08:50 「雍也第六」後半11-28 素読
2021.9.22収録


樊遅(はんち) … 姓は樊、名は須、字は子遅(しち)。孔子より34歳若い。孔子が移動に使う牛車の御者(運転手)を務めた。真面目な人柄で論語にもたびたび登場する。

【解釈】

樊遅問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣。問仁、曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣。

「知」は知恵、ひととして生きるための本当の知恵。『知』とは?|論語、素読会 「民之義」(たみのぎ)はひととしての道理。『義』とは?|論語、素読会 「鬼神」(きしん)は日本でいう神仏のこと。「遠之」(これをとおざく)は一定の距離をおいて対する、近づいて汚すことをしない。「獲」(とる)は利益を得る。
樊遅が「知」について尋ねた。孔先生がおっしゃった、ひととしての道理を務め、神仏を敬うが頼りすぎない、これを「知」という。樊遅が「仁」について尋ねると、孔先生がおっしゃった、仁者はいやなことを自ら率先して行い、利益を後にする、これを「仁」というべき。


【解説】

「仁」とは、いやなことを自ら率先して行い利益を後にすること、仁者のこのような行動を「仁」というべき。『仁』とは?|論語、素読会
樊遅は孔子が乗る馬車の御者でした。若い樊遅は度々「知」や「仁」について孔子に尋ねています。「仁」についてなかなか明言しない孔子ですが、樊遅に対してはわかりやすい言葉で説明をしています。論語の読者は樊遅を通じて孔子と接することで、より自分に近い目線で学ぶことができるのです。
「敬遠」という言葉は、この章句にもあるように神仏を敬い距離を置き(遠ざけ)、頼りすぎないことをいいます。この章句が直接の由来ではありませんが、古来「敬遠」の意味と考えられます。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六19< | >雍也第六21


【現代に活かす論語】
ひととして正しく行動し神頼みをしない、これが知識がある者の行動である。苦労を先にして利益を後にする、これが思いやりがある者の行動である。