論語、素読会

子釣して綱せず。弋して宿を射ず|「論語」述而第七26

孔先生は魚を釣ることはあってもはえなわ漁(網を利用して一網打尽にする漁)はしなかった。鳥を弓で射ることはあっても、木に止まっている鳥を狙わなかった。|「論語」述而第七26

【現代に活かす論語】
釣りや猟に捕り方があるように、人付き合いにも方法があるでしょう。生き物の命と向き合うような繊細さをもって付き合いたい。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
07:25 「述而第七」後半24-37 素読
2021.12.01収録

【解釈】

子釣して綱せず。弋して宿を射ず。|「論語」述而第七26
子釣而不綱。弋不射宿。

「釣」(つり)は竿でつること。「綱」(こう)ははえなわ漁のこと。「弋」(よく)は矢に糸を付けた短い矢で、鳥を絡め捕らえるためのもの。いぐるみ、いとゆみ。「宿」(しゅく)は木に止まっている鳥。

孔先生は魚を釣ることはあってもはえなわ漁(網を利用して一網打尽にする漁)はしなかった。鳥を弓で射ることはあっても、木に止まっている鳥を狙わなかった。

【解説】

これは何のたとえでしょうか。人付き合いまたは人心掌握の例えではないかと思います。大きな網で一網打尽にするような大雑把な付き合い方ではなく、一投一投、繊細な心遣いで付き合うように。そして鳥を糸で絡め取って捕るにしても、捕り方があるだろう、誠実に向き合って人としての情愛を忘れないようにしていたという、孔子の姿を比喩を用いて伝えたのだと思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
述而第七25< | >述而第七27


【原文・白文】
 子釣而不綱。弋不射宿。

(子釣して綱せず。弋して宿を射ず。)
【読み下し文】
 子(し)釣(つり)して綱(こう)せず。弋(よく)して宿(しゅく)を射(い)ず。


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述而第七25< | >述而第七27


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