論語、素読会

申申如たり、夭夭如たり|「論語」述而第七04

孔先生が家でくつろいでいるときは、のびのびとして、にこやかな顔つきであった。|「論語」述而第七04

【現代に活かす論語】
家でくつろぐ孔子は、のびのびとしてにこやかな顔をしていた。決して堅苦しい家庭人ではありませんでした。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
04:20 「述而第七」前半01-23 素読
2021.10.09収録

【解釈】

子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。|「論語」述而第七04
子之燕居、申申如也、夭夭如也。

「燕」(えん)は宴で安居の意、私生活のこと。「申申如」(しんしんじょ)はのびやかな様子。「夭夭如」(ようようじょ)はにこやかな顔つきで容姿があでやかなこと。

孔先生が家でくつろいでいるときは、のびのびとして、にこやかな顔つきであった。

【解説】

孔子は家では善い家庭人であったという章句です。弟子とのやり取りも決して厳格で張りつめたものでなかったことは「論語」の他の章句からうかがい知れますが、家庭での孔子の様子を伝える貴重な章句だといえるでしょう。


「論語」参考文献|論語、素読会
述而第七03< | >述而第七05


【原文・白文】
 子之燕居、申申如也、夭夭如也。

(子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。)
【読み下し文】
 子(し)の燕居(えんきょ)するや、申申如(しんしんじょ)たり、夭夭如(ようようじょ)たり。


「論語」参考文献|論語、素読会
述而第七03< | >述而第七05


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