論語、素読会

則ち怨に遠ざかる|「論語」衛霊公第十五15

孔先生がおっしゃった、自分自ら深くして(求めて)、緩やかにひとを責めるのであれば、恨みから逃れることができる。|「論語」衛霊公第十五15

【現代に活かす論語】
自分に厳しく、他人に寛容であれば、怨まれたりすることがない。

【解釈】

子曰わく、躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨に遠ざかる。|「論語」衛霊公第十五15
子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣。

「躬」(み)は自分、自己、おのれ。「厚」(あつくす)は程度を増す、深める。「薄」(うすくす)は軽くする。「責」(せむ)は要求する、とがめる、道義や品行に対して要求する意。「則」(すなわち)は…ならば、それならば。「怨」(うらみ)は憤って不満なこと、深い悲しみ。「遠」(とおざかる)は免れる、回避する。

孔先生がおっしゃった、自分自ら深くして(求めて)、緩やかにひとを責めるのであれば、恨みから逃れることができる。

【解説】

自ら厚くは「責むる」にかかるので、「深く求める」と解釈しました。自分に厳しく、他人には寛容であれということです。また、ここから派生して、現代でいうアンガーマネージメントと解釈することもできると思います。
興味深いのは、人から恨まれることを避けたいという表現です。本章句意外にもこの表現が存在します。「利に放りて行えば、怨多し。|「論語」里仁第四12
人の上に立つリーダー・君子を目指して徳を積んでいる弟子たちは、修養が進むほど他人から恨まれるような事柄と無縁な気がしますが、このような章句が収録されているという意味は、論語をテキストとして読む人たちに、庶民に近い存在のひとが含まれるということを指していると思います。そのような読者層にも共感しやすいような章句が論語には含まれると考えていいのではないでしょうか。「恩恵をもって受けた怨みに報いるといいますが、どう思われますか?|「論語」憲問第十四36


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五14< | >衛霊公第十五16


【原文・白文】
 子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣。

(子曰わく、躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨に遠ざかる。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、躬(み)自(みずか)ら厚(あつ)くして、薄(うす)く人(ひと)を責(せ)むれば、則(すなわ)ち怨(うらみ)に遠(とお)ざかる。


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衛霊公第十五14< | >衛霊公第十五16


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