論語、素読会

回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や|「論語」雍也第六09

【原文】
 子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其楽。賢哉回也。
<子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其樂。賢哉回也。>

(子曰わく、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飮、陋巷に在り。人は其の憂に堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、賢(けん)なるかな回(かい)や。一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっびょう)の飮(いん)、陋巷(ろうこう)に在(あ)り。人(ひと)は其(そ)の憂(うれい)に堪(た)えず、回(かい)や其(そ)の楽(たの)しみを改(あらた)めず。賢(けん)なるかな回(かい)や。


回(かい) … 顔淵(がんえん)。姓は顔、名は回、字は子淵(しえん)。孔子より30歳若い。孔子よりも早く、30歳(一説では40歳とも)で死んだ。秀才で、門人の中で一番の学問好き。孔子の第一の弟子ともいわれる。
もの静かだが孔子の教えを充分に実践しており、一を聞いて十を知る孔子もかなわない部分を持つ秀才。

【解釈】

子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其楽。賢哉回也。

「賢」(けん)は賢明、偉い。「一箪」(いったん)は一椀。竹で編んだ器。「一瓢」(いっびょう)は一椀。ひさごを半分に割って作った汁入れ。現代でもひさごでできたものとしてひょうたん型の七味入れなどがある。「陋巷」(ろうこう)はせまく汚い細小路。「憂」(うれい)はここでは貧苦、苦しみ。
孔先生がおっしゃった、回は賢明だなぁ。一椀の飯、一椀の汁とともにせまい路地で暮らしている。普通の人ならその苦しみに堪えられないのに、回は相変わらず楽しんでいる(楽しむことを辞めない)。回は偉いなぁ。


【解説】

孔子は顔淵が大好きだったのでしょう。
孔子の学び舎にはさまざまな境遇の弟子たちが集っていました。学びをきっかけに就職口を探すものや、孔子を慕って来るものさまざまだったと思いますが、学びを続けている顔淵の清貧とも言える暮らしは変わりませんでした。孔子と顔淵はこの状況を楽しんでいる様子が伝わります。そこに孔子と顔淵の特別な関係性が見えてくるのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六08< | >雍也第六10


【現代に活かす論語】
貧しくてもその状況を楽しむ。むしろ賢明であるために暮らしぶりが質素になる。そしてその状況を楽しむとよい。