論語、素読会

賜や爾が及ぶ所に非ざるなり|「論語」公冶長第五12

【原文】
 子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。子曰、賜也非爾所及也。

(子貢曰わく、我人の諸を我に加うることを欲せざれば、吾も亦諸を人に加うること無からんと欲す。子曰わく、賜や爾が及ぶ所に非ざるなり。)
【読み下し文】
 子貢(しこう)曰(い)わく、我(われ)人(ひと)の諸(これ)を我(われ)に加(くわ)うることを欲(ほっ)せざれば、吾(われ)も亦(また)諸(これ)を人(ひと)に加(くわ)うること無(な)からんと欲(ほっ)す。子(し)曰(のたま)わく、賜(し)や爾(なんじ)が及(およ)ぶ所(ところ)に非(あら)ざるなり。

『論語、素読会』
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00:00 章句の検討
08:20 「公冶長第五」前半01-15 素読
2021.7.10収録


賜(し) … 子貢(しこう)。姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢(しこう)。孔子より31歳若い。「論語」の中で孔子との問答がもっとも多い。言葉巧みな雄弁家で自信家だったが、孔子には聡明さを褒められ、言葉の多さを指摘されている。
経済面で能力が高かったと言われている。

【解釈】

子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。子曰、賜也非爾所及也。

「我」(われ)は私。「加」(くわうる)はここでは物質的、精神的に圧力を加えるの意。「爾」(なんじ)はお前。
子貢が言った、私は私に無理強いすることを望まないので、人に無理強いすることが無いようにしたいと思います。孔先生がおっしゃった、賜よまだお前にはできることではないね。


【解説】

「欲無」は自然と無いようにしたいという表現だそうです。無意識にそうありたいという高い次元の話ですので、孔子がお前には無理だといっても、それは子貢を否定していることではないと思います。むしろ、「諸」(これ)といっているものはどのようなものを指すのかと思いを巡らせることがこの章句の楽しみではないでしょうか。


「論語」参考文献|論語、素読会
公冶長第五11< | >公冶長第五13


【現代に活かす論語】
ひとに無理強いをしない。自然にできるようになるのは大変むずかしいことです。