論語、素読会

子之を聞きて曰わく、是れ礼なり|「論語」八佾第三15

【原文】
 子入太廟、毎事問。或曰、孰謂鄹人之子知礼乎、入太廟、毎事問。子聞之曰、是礼也。
<子入太廟。毎事問。或曰。孰謂鄹人之子知禮乎。入太廟。毎事問。子聞之曰。是禮也。>

(子太廟に入りて、事ごとに問う。或ひと曰わく、孰か鄹人の子を礼を知れりと謂うや、太廟に入りて、事ごとに問う。子之を聞きて曰わく、是れ礼なり。)
【読み下し文】
 子(し)太廟(たいびょう)に入(い)りて、事(こと)ごとに問(と)う。或(ある)ひと曰(い)わく、孰(たれ)か鄹人(すうひと)の子(こ)を礼(れい)を知(し)れりと謂(い)うや、太廟(たいびょう)に入(い)りて、事(こと)ごとに問(と)う。子(し)之(これ)を聞(き)きて曰(のたま)わく、是(こ)れ礼(れい)なり。

『論語、素読会』
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00:00​ 章句の検討
09:10​ 「八佾第三」01-26 素読
2021.4.20収録


「太廟」(たいびょう) … 魯の周公旦を祀った廟、御霊屋(みたまや)。

「鄹人之子」(すうひとのこ) … 孔子の父が鄹の長官をしていたことから、田舎の鄹の役人の子と孔子を軽蔑して言った意味。

【解釈】

子入太廟、毎事問。

「毎事」(ことごと)は、物事すべて。
孔先生は君主の先祖の霊を祀った廟で祭礼にたずさわったとき、儀式について一々先輩に質問した。

或曰、孰謂鄹人之子知礼乎、入太廟、毎事問。

「孰」(たれか)は誰がの意。「礼」はここでは祭礼の儀式のこと。『礼』とは?|論語、素読会
ある人が言った、誰かが鄹の田舎役人の子が祭礼の儀式に通じた人だと評判したが、廟での祭礼に際してあれこれ聞いてばかりではないか。

子聞之曰、是礼也。

「礼」はここでは礼節、礼儀のこと。
孔先生がこれを聞いておっしゃった、これこそが「礼」である。(太廟での大事な祭礼において、間違いがないように確認をして行うことが敬意を払う礼儀というものだ)


【解説】

太廟で行われる祭礼にたずさわったということですので、孔子が魯に任用されていた時代、51歳から56歳のころの話だと思います。すでに名が知れていた孔子の悪口をいう人がいたのでしょう、孔子の父親のことを引き合いに出して嘲笑するかのような言い回しです。現代的に言えば「噂は聞いていたけど大したことないな。聞いてばかりじゃないか。物知りだなんて聞いて呆れるよ」ということでしょうか。しかし、孔子は一刀両断します「これこそが礼節だよ」。
これは、孔子の日頃の謙虚な姿勢から考えれば当然な行動です。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり|「論語」為政第二17 知らないことを知らないとして行動することが則ち知ること。大事な祭礼に際して最善の行動は何か?と考えれば当然の行動なのです。何の問題がありましょうか。論語の表現の中にはしばしばズドンと直球で返球する場面が見えます。


「論語」参考文献|論語、素読会
八佾第三14< | >八佾第三16


【現代に活かす論語】
大切なイベントに際してひとつひとつ確認を取りながら進めることは決して恥ずかしいことではない。間違いなく推し進めることが大切なのであるから。