論語、素読会

夫子の文章は、得て聞くべきなり|「論語」公冶長第五13

【原文】
 子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性与天道、不可得而聞也。

(子貢曰わく、夫子の文章は、得て聞くべきなり。夫子の性と天道とを言うは、得て聞くべからざるなり。)
【読み下し文】
 子貢(しこう)曰(い)わく、夫子(ふうし)の文章(ぶんしょう)は、得(え)て聞(き)くべきなり。夫子(ふうし)の性(せい)と天道(てんどう)とを言(い)うは、得(え)て聞(き)くべからざるなり。

『論語、素読会』
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00:00 章句の検討
10:45 「公冶長第五」前半01-15 素読
2021.7.19収録


子貢(しこう) … 姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢(しこう)。孔子より31歳若い。「論語」の中で孔子との問答がもっとも多い。言葉巧みな雄弁家で自信家だったが、孔子には聡明さを褒められ、言葉の多さを指摘されている。経済面で能力が高かったと言われている。「論語」の登場人物|論語、素読会

【解釈】

子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性与天道、不可得而聞也。

「夫子」(ふうし)は孔子のこと。「文章」(ぶんしょう)は現代の文章とは違うと考えるべきと文献は伝えています。「可」は〜することができるの意。「性」(せい)はひとの生まれつき。「天道」(てんどう)は宇宙の道理法則。
子貢が言った、孔先生の文章についてのお話し、つまり人にあらわれる徳についてや国家の制度や規範についての話を拝聴する機会がある。しかし、孔先生が語られる、ひとの生まれつきや宇宙の道理法則については、(なかなか)拝聴する機会がない。

文は「かざる」、章は「あきらか」の意のあるように、道徳や秩序で、人の言動が立派になったり、国家社会の秩序が保たれて、美しい世の中になること。われわれが今日用いる文章の意とは異なる。

新釈漢文大系 論語 吉田賢抗著 明治書院刊

【解説】

「可得而聞也」と「不可得而聞也」は対比です。得て聞くは「聞く機会」と解釈してみました。聞く機会があるものとないものの対比です。孔子が宇宙の道理原則について語らないばかりでなく、ひとの生まれつきについて語らないというのは、孔子が過去の因果応報や未来の予言などを語らず、実践を学ぶことを旨としていたことの証です。そしてそのやり取りを記したのが「論語」であるということです。
「天」はどちらかというと祖先の霊とその祭礼を司る王(天子)のことを指し、「道」は政治を治める道義を指すのですが、「天道」となりしかも「性と天道」と並べて表現された今回の場合は、孔子が語ることがないということからも「宇宙の道理原則」と意味を限定することが適当ではないかという解釈です。


「論語」参考文献|論語、素読会
公冶長第五12< | >公冶長第五14


【現代に活かす論語】
孔子は、日々徳性を高めることや国の制度規範について語ることがあっても、ひとのうまれつきや宇宙の原理などを語ることはありませんでした。これが「論語」が実践の教えであるという証です。