論語、素読会

弟子学ぶこと能わざるなり|「論語」述而第七33

【原文】
 子曰、若聖与仁、則吾豈敢。抑為之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。公西華曰、正唯、弟子不能学也。
<子曰、若聖與仁、則吾豈敢。抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。公西華曰、正唯、弟子不能學也。>

(子曰わく、聖と仁との若きは、則ち吾豈敢てせんや。抑之を為びて厭わず、人を誨えて倦まずとは、則ち謂うべきのみ。公西華曰わく、正に唯、弟子学ぶこと能わざるなり。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、聖(せい)と仁(じん)との若(ごと)きは、則(すなわ)ち吾(われ)豈(あに)敢(あえ)てせんや。抑(そもそも)之(これ)を為(まな)びて厭(いと)わず、人(ひと)を誨(おし)えて倦(う)まずとは、則(すなわ)ち謂(い)うべきのみ。公西華(こうせいか)曰(い)わく、正(まさ)に唯(ただ)、弟子(ていし)学(まな)ぶこと能(あた)わざるなり。

『論語、素読会』
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00:00 章句の検討

10:30 「述而第七」後半24-37 素読
2022.1.5収録


公西華(こうせいか) … 姓は公西(こうせい)、名は赤(せき)、字は子華(しか)。孔子より四十二歳若い。儀式・礼法に通じ、孔子が亡くなったときの葬儀委員長を務めたという。

【解釈】

子曰、若聖与仁、則吾豈敢。抑為之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。

「聖」(せい)は聖人、最もすぐれた知恵と道徳とをそなえた人。「仁」(じん)は仁者、有徳の人。「若」(ごとき)は…に関しては、…至っては。「吾」(われ)はわたし。「豈敢」(あにあえて〜せんや)は反語の意味。「抑」(そもそも)は軽い逆接を表す。「為」(まなび)は学習する、まなぶ。「不厭」(いとわず)は受け入れる、嫌わない。「誨」(おしえる)は教え導く。「不倦」(うまず)は飽きない、怠らない。「云爾」(しかいう)はただそれだけの意。「已」(のみ)はのみ、だけ。
孔先生がおっしゃった、最もすぐれた知恵と道徳とをそなえた人(聖人)と有徳の人(仁者)にいたっては、私はおよびもしない。(ただ、)そもそも学んぶことを厭わないし、人を教え導くことを怠らない、それだけだと言ってもいい。

公西華曰、正唯、弟子不能学也。

「不能」(あたわず)はできない、むずかしい。
(これを聞いて)弟子の公西華が言った、それこそまさに、弟子がまねる(学ぶ)ことがむずかしいことです。


【解説】

聖人や仁者になることを目指しながら、謙虚に学び導く孔子の姿を表す章句です。そして、礼に通じた弟子の公西華がその姿を尊敬している様子が伝わってきます。弟子たちに慕われる孔子であったのでしょう。


「論語」参考文献|論語、素読会
述而第七32< | >述而第七34


【現代に活かす論語】
リーダーに相応しい知恵と道徳をそなえた人物でありたい。そうなれずとも、学ぶことが好きで自ら模範となるよう怠らない、そんなリーダーでありたい。