論語、素読会

固より師を相くるの道なり|「論語」衛霊公第十五42

楽団の冕長官が尋ねてきた。(目が不自由な長官に対して)階段のところに来ると、孔先生は階段ですと伝えられた。座席に近づくと、孔先生は座席ですと伝えられた。みなが席に着くと、孔先生は告げておっしゃった、某(なにがし)はここに居ります、某はここに居りますと。冕長官が退出された。子張が孔子に尋ねて言った、楽師と話をするときの作法ですかと。孔先生がおっしゃった、その通りだよ。本来の楽師を補佐する作法だよと。|「論語」衛霊公第十五42

【現代に活かす論語】
目が不自由な人に対して声掛けなどの細かい気遣いをしたいものです。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

15:10「衛霊公第十五」後半23 – 42素読
2024.8.19収録

【解釈】

子張(しちょう) … 姓は顓孫(せんそん)、名は師(し)、字は子張(しちょう)。孔子より四十八歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会

師冕見ゆ。階に及べり。子曰わく、階なり。席に及べり。子曰わく、席なり。皆坐す。子之に告げて曰わく、某は斯に在り、某は斯に在り。師冕出ず。子張問うて曰わく、師と言うの道か。子曰わく、然り。固より師を相くるの道なり。|「論語」衛霊公第十五42
師冕見。及階。子曰、階也。及席。子曰、席也。皆坐。子告之曰、某在斯、某在斯。師冕出。子張問曰、与師言之道与。子曰、然。固相師之道也。

「師冕」(しべん)は師は大師(音楽師の長官)で、冕が名。目の不自由な人がこの役に当たるようです。「見」(まみゆ)は拝謁する。「階」(かい)は高い所へ上り下りするための段。「席」(せき)は座席、すわる位置。「某」(ぼう)はなにがし、それがし。「師」(し)は専門的に特定の職場・機能をあつかう官、楽師。「道」(みち)は方法、やり方、手段。『道』とは?|論語、素読会 「然」(しかり)は正しい、その通りである。「固」(もとより)は本来、もともと。「相」(たすく)は補佐する、たすける。

楽団の冕長官が尋ねてきた。(目が不自由な長官に対して)階段のところに来ると、孔先生は階段ですと伝えられた。座席に近づくと、孔先生は座席ですと伝えられた。みなが席に着くと、孔先生は告げておっしゃった、某(なにがし)はここに居ります、はここに居りますと。冕長官が退出された。子張が孔子に尋ねて言った、楽師と話をするときの作法ですかと。孔先生がおっしゃった、その通りだよ。本来の楽師を補佐する作法だよと。

【解説】

「見ゆ」は拝謁するという意味ですが、子張が孔子より四十八歳年下であることを考えると、孔子最後年の場面だと思います。かつて長官職を勤めた孔子は、師冕から拝謁する相手でした。孔子が位が下の者に対して気遣う様子を見て、まだ若い子張が確認をする章句です。目が不自由な楽師に高齢の孔子が気遣いをする様子は、子張からすれば珍しい光景だったのかも知れません。どうして?と質問せずに楽師と話すときの作法ですかと尋ねるところに子張の才能を感じます。
ただ、これを作法といってしまう点については、苦笑いを禁じ得ません。若い子張の質問に対して、ああ、その通りだよと言っているのであって、これが古参の弟子であれば、孔子の反応も変わっていたでしょう。平素から周りへの気遣いを惜しまない姿勢こそが孔子門下の原則だと思います。「喪に服している人と礼服を着た高官と目が不自由な楽官に出合った場合、相手が若かったとしても必ず立ち上がり、前を通り過ぎるときは必ず早足で駆けた。|「論語」子罕第九10


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五41< | >季氏第十六01


【原文・白文】
 師冕見。及階。子曰、階也。及席。子曰、席也。皆坐。子告之曰、某在斯、某在斯。師冕出。子張問曰、与師言之道与。子曰、然。固相師之道也。
<師冕見。及階。子曰、階也。及席。子曰、席也。皆坐。子告之曰、某在斯、某在斯。師冕出。子張問曰、與師言之道與。子曰、然。固相師之道也。>

(師冕見ゆ。階に及べり。子曰わく、階なり。席に及べり。子曰わく、席なり。皆坐す。子之に告げて曰わく、某は斯に在り、某は斯に在り。師冕出ず。子張問うて曰わく、師と言うの道か。子曰わく、然り。固より師を相くるの道なり。)
【読み下し文】
 師冕(しべん)見(まみ)ゆ。階(かい)に及(およ)べり。子(し)曰(のたま)わく、階(かい)なり。席(せき)に及(およ)べり。子(し)曰(のたま)わく、席(せき)なり。皆(みな)坐(ざ)す。子(し)之(これ)に告(つ)げて曰(い)わく、某(ぼう)は斯(ここ)に在(あ)り、某(ぼう)は斯(ここ)に在(あ)り。師冕(しべん)出(い)ず。子張(しちょう)問(と)うて曰(い)わく、師(し)と言(い)うの道(みち)か。子(し)曰(のたま)わく、然(しか)り。固(もと)より師(し)を相(たす)くるの道(みち)なり。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五41< | >季氏第十六01


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