論語、素読会

四十にして惑わず、五十にして天命を知る|「論語」為政第二04

【原文】
 子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。
<子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲不踰矩。>

(子曰わく、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従へども矩を踰えず。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、吾(われ)十有五(じゅうゆうご)にして学(がく)に志(こころざ)し、三十(さんじゅう)にして立(た)つ、四十(しじゅう)にして惑(まど)わず、五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)を知(し)る、六十(ろくじゅう)にして耳(みみ)順(したが)い、七十(しちじゅう)にして心(こころ)の欲(ほっ)する所(ところ)に従(したが)えども矩(のり)を踰(こ)えず。

『論語、素読会』
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00:00​ 章句の検討

18:35​ 「為政第二」01-24 素読
2021.4.3収録


【解釈】

子曰、吾十有五而志于学、三十而立、

「学」ここでは単純に学問というより官吏になるための専門的な学問、先人の教えにも通じる学問を指すと思います。研究書では「聖賢の学」とも「礼楽」とも表現します。「礼楽」とは広く先人の教え規範を指す礼、そして楽とは祭礼には欠かせない雅楽、つまり国の祭礼に係わる作法・慣習などの儀礼を指すと思います。
孔先生がおっしゃった、私は15歳で国に仕えるためのより専門的な学問を志した。30歳で専門の学問を確立した。

四十而不惑、五十而知天命、

「知」は単に知るというより理解すると解釈したい。
40歳でものの道理が分かって迷わなくなった。50歳にして天が自分に使命(生きる意味)を与え、何をするべきか理解するようになった。

六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。

「順」は(したがう)。耳から入ってくるものに素直になるとも、すらすらと理解できるとも解釈できる。「矩」とは(さしがね・差し金)定規を指す。「踰」は(こえる・のりこえる)の意。
60歳で人の言葉を素直に聞きすらすらと理解できるようになり、70歳に至っては、心の思うがままに行動しても、決して道理を外すことがなくなった。


【解説】

有名な「不惑」の章句ですが、それぞれ「志学」「而立」「不惑」「知天命」「耳順」「従心」の歳といいます。

この章句の味わいは、まず簡単に孔子の人生を知ることで、より深いものになります。青年時代の孔子についてはほとんど分かっていませんが、19歳で結婚し1男1女を設けているようです。20歳代で下級役人になっていると思われますが、地道に経験を積み重ねていったと考えられます。魯の首都・中都の宰(長官)に抜擢されたのは51歳のときとされています。また順調に要職を歴任したそうです。しかし、56歳(55歳とも)の時に自ら魯の国の官職を辞めます。そして訪れた衛の国から追われるようにして14年に渡る諸国漫遊の旅に出るのです。

74歳まで生きた孔子が、晩年に語ったと伝えられるこの章句は40歳になったから「不惑」の歳に自動的になるのではなく、常に研鑽を続けながらそして苦労しながらも人間形成をしてきた孔子の姿を表しています。

私たちがこの章句と対峙する場合、単純に年齢を重ねて比べるのではなく、またこの順番通りに生きなければならないというプロトタイプということでもなく、孔子であっても苦労の末、年月を経て、ようやくこの境地にあるという、ある種満足感、充足感というものと、門弟や私たち後輩に対して、なので「諦めずにおやりなさい」というメッセージを感じるだけでいいのではないかと思うのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
為政第二03< | >為政第二05


【現代に活かす論語】
孔子でさえ、15歳で学問を志した。30歳になるまで学問を確立することはなかった。40歳まで迷い、50歳まで自分が何をすべきか分からなかった。60歳までは人に忠告されても素直になれず、70歳までは行動をしても道に外れてしまうこともしばしばだった。しかし、孔子は大勢の門人の師として学び続けた。リーダーになるということはそういうことなのだと思う。