論語、素読会

君子は道を憂えて貧しきを憂えず|「論語」衛霊公第十五32

孔先生がおっしゃった、君子・人の上に立つ立派なリーダーは、道理や規律を求めて、食を求めない。田畑を耕しても、腹をすかせることもある。学べば、俸禄はその中にある。君子は道(道理が行われているか)を心配して、貧しさを心配しない。|「論語」衛霊公第十五32

【現代に活かす論語】
人の上に立つ立派なリーダーは、道理や規律を求めて、腹を満たすことを求めません、

学びの先には収入があります。

人の上に立つ立派なリーダーは、道理が行われているかを心配して、一時の貧しさに振り回されない。

【解釈】

子曰わく、君子は道を謀りて食を謀らず。耕すも、餒其の中に在り。学べば、禄其の中に在り。君子は道を憂えて貧しきを憂えず。|「論語」衛霊公第十五32
子曰、君子謀道不謀食。耕也、餒在其中矣。学也、禄在其中矣。君子憂道不憂貧。

「君子」(くんし)は徳の高いりっぱな人物、人の上に立つ立派な人、リーダー。「道」(みち)は道義、道理、規律。「謀」(はかる)は求める、…のために働く。「餒」(うえる)は腹をすかせる。「禄」(ろく)は官吏の俸給。「憂」(うれう)は心配する、思いなやむ。

孔先生がおっしゃった、君子・人の上に立つ立派なリーダーは、道理や規律を求めて、食を求めない。田畑を耕しても、腹をすかせることもある。学べば、俸禄はその中にある。君子は道(道理が行われているか)を心配して、貧しさを心配しない。

【解説】

畑を耕すこと、つまり自然を相手にすることは、時に腹をすかせることもある。対して、学ぶことは、道義を得られるだけでなく、職を得て官吏の俸給を得ることもできるという章句です。
この章句の背景を考えてみたいと思います。第一に「学び」によって道義を得ることができると孔子は言います。道義を得るということは、孔子や孔子の弟子たちにとっての理想像である「君子」に近づくということです。そして「学び」によって官吏の職を得て、安定した経済力を得ることができます。しかし実際には、官吏の職を継続的に得ることは、孔子がそうであったように、決して簡単なことでは無かったと考えられます。「学び」が生活にもたらす経済的効果は、周囲のひとにも分かりづらかったでしょうし、学ぶ過程において、決して裕福では無かったことは、学び続ける孔子の弟子たちにとって、集中力を削ぐ雑音のような存在であったのかも知れません。この章句は農業を否定しているのではなく、学びを続ける弟子たちへのエールではないかと思います。学ぶものは貧しくあれとか、貧しいことを我慢せよと言うのではなく、働きに見合った俸禄を得るために、現在の学びがあるという希望を読む者に与える。そんな章句なのではないでしょうか。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五31< | >衛霊公第十五33


【原文・白文】
 子曰、君子謀道不謀食。耕也、餒在其中矣。学也、禄在其中矣。君子憂道不憂貧。
<子曰、君子謀道不謀食。耕也、餒在其中矣。學也、祿在其中矣。君子憂道不憂貧。>

(子曰わく、君子は道を謀りて食を謀らず。耕すも、餒其の中に在り。学べば、禄其の中に在り。君子は道を憂えて貧しきを憂えず。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、君子(くんし)は道(みち)を謀(はか)りて食(しょく)を謀(はか)らず。耕(たがや)すも、餒(うえ)其(そ)の中(なか)に在(あ)り。学(まな)べば、禄(ろく)其(そ)の中(なか)に在(あ)り。君子(くんし)は道(みち)を憂(うれ)えて貧(まず)しきを憂(うれ)えず。


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衛霊公第十五31< | >衛霊公第十五33


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