論語、素読会

五十にして以て易を学べば、以て大過無かるべし|「論語」述而第七16

【原文】
 子曰、加我数年、五十以学易、可以無大過矣。
<子曰、加我數年、五十以學易、可以無大過矣。>

(子曰わく、我に数年を加え、五十にして以て易を学べば、以て大過無かるべし。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、我(われ)に数年(すうねん)を加(くわ)え、五十(ごじゅう)にして以(もっ)て易(えき)を学(まな)べば、以(もっ)て大過(たいか)無(な)かるべし。


【解釈】

子曰、加我数年、五十以学易、可以無大過矣。

「加」(くわえ)は与える。「易」(えき)は易経のこと。「大過」(たいか)は大きな過失。
孔先生がおっしゃった、私に数年が与えられ、50歳までに易学を学ぶことができれば、大きな過失なく過ごすことができるだろう。


【解説】

文献によれば、「加我数年、五十以学易」の解釈を巡って孔子が何歳の時の言葉であるか異論が多い章句とのこと。孔子の知天命(五十にして天命を知る)に関連して解釈したり、史記の孔子世家に孔子は晩年に易を学んだとあることを注視する解釈もあるそうです。
ここでは、易学を学ぶことによって過ちを起こさないようになるだろうという孔子の望みや信念を知ることにとどめました。
易とは、易経のことで、人生の消長、吉凶の盈虚(えいきょ・栄枯)を知ることを指します。


「論語」参考文献|論語、素読会
述而第七15< | >述而第七17


【現代に活かす論語】
時間を設けて、人生の栄枯盛衰について学ぶことができれば、大きな過ちなくすごすことができるだろう。