論語、素読会

之を見て少しと雖も必ず作ち、之を過ぐれば必ず趨る|「論語」子罕第九10

孔先生は、喪に服している人と礼服を着た高官と目が不自由な楽官に出合った場合、相手が若かったとしても必ず立ち上がり、前を通り過ぎるときは必ず早足で駆けた。|「論語」子罕第九10

【現代に活かす論語】
喪服のひとを見ればその哀しみを想像し、礼服のひとを見れば祝意を抱き、目が不自由なひとを見れば譲り気遣う。常に思いやりの気持ちを持っていたい。

【解釈】

子斉衰者と、冕衣裳者と、瞽者とを見れば、之を見て少しと雖も必ず作ち、之を過ぐれば必ず趨る。|「論語」子罕第九10
子見斉衰者、冕衣裳者、与瞽者、見之雖少必作、過之必趨。

「斉衰」(しさい)は喪服。麻で作った三年の喪の服装。孔子の時代は家族が亡くなると三年喪に服したので、「斉衰者」は近親者を亡くした人を指す。「冕」(べん)は祭祀に用いる冠。「冕衣裳者」は礼服を着た人、つまり高い位の人を指す。「瞽者」(こしゃ)は目の不自由な人。孔子の時代は礼楽奏者である場合があった。「少い」(わかい)は若い。「作つ」(たつ)は立ち上がる。「過ぎる」(すぎる)はここでは目の前を通り過ぎること。「趨る」(はしる)は早足で駆ける。

孔先生は、喪に服している人と礼服を着た高官と目が不自由な楽官に出合った場合、相手が若かったとしても必ず立ち上がり、前を通り過ぎるときは必ず早足で駆けた。

【解説】

孔子の日常の立ち居振る舞いを表した章句です。いずれの人に対しても立ち上がって弔意、敬意などの気持ちを表現するだけでなく、足早に行動したというのです。私が思うに、喪に服している人は外との接触をできるだけ避けて過ごすということから、相手のことを思いやることにつながります。礼服を着た高官に対しては、祭祀に臨む状況を思いやって敬意を払っていると感じます。目が不自由な楽官には、歩行の邪魔をしないという心遣いと礼楽に対する敬意を払っていたのでしょう。この孔子の態度は、常に「仁」の中にあるという君子の条件を体現していると思います。このような孔子の立ち居振る舞いは弟子に大きな影響をもたらしたでしょう。見倣いたいと思うのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
子罕第九09< | >子罕第九11


【原文・白文】
 子見斉衰者、冕衣裳者、与瞽者、見之雖少必作、過之必趨。
<子見齊衰者、冕衣裳者、與瞽者、見之雖少必作、過之必趨。>

(子斉衰者と、冕衣裳者と、瞽者とを見れば、之を見て少しと雖も必ず作ち、之を過ぐれば必ず趨る。)
【読み下し文】
 子(し)斉衰者(しさいしゃ)と、冕衣裳者(べんいしょうしゃ)と、瞽者(こしゃ)とを見(み)れば、之(これ)を見(み)て少(わか)しと雖(いえど)も必(かなら)ず作(た)ち、之(これ)を過(す)ぐれば必(かなら)ず趨(はし)る。


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