論語、素読会

之に臨むに荘を以てすれば則ち敬す|「論語」為政第二20

【原文】
 季康子問、使民敬忠以勧、如之何。子曰、臨之以荘則敬。孝慈則忠。挙善而教不能則勧。
<季康子問、使民敬忠以勸、如之何。子曰、臨之以莊則敬。孝慈則忠。舉善而教不能則勸。>

(季康子問う、民をして敬忠にして以て勧ましむるには、之を如何にせん。子曰わく、之に臨むに荘を以てすれば則ち敬す。孝慈なれば則ち忠あり。善を挙げて不能を教うれば則ち勧む。)
【読み下し文】
 季康子(きこうし)問(と)う、民(たみ)をして敬忠(けいちゅう)にして以(もっ)て勧(すす)ましむるには、之(これ)を如何(いか)にせん。子(し)曰(のたま)わく、之(これ)に臨(のぞ)むに荘(そう)を以(もっ)てすれば則(すなわ)ち敬(けい)す。孝慈(こうじ)なれば則(すなわ)ち忠(ちゅう)あり。善(ぜん)を挙(あ)げて不能(ふのう)を教(おし)うれば則(すなわ)ち勧(すす)む。

『論語、素読会』
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00:00​ 章句の検討

14:10​ 「為政第二」01-24 素読
2021.3.26収録


季康子(きこうし) … 魯の大夫。季氏(季孫氏)の七代目。名は肥、贈り名は康。孔子の門人、冉求、子貢、子路、樊遅らを任用し、冉求の求めで孔子を招いたりもした。「論語」の登場人物|論語、素読会

【解釈】

季康子問、使民敬忠以勧、如之何。

「敬忠」(けいちゅう)は敬意と忠誠の念、自分を尊敬し自分に忠誠を尽くさせること。「勧」(すすむ)は民の仕事に精を出させる。「如之何」(いかにせん)は、どうしたらいいか?という疑問形。
魯の大夫、季康子が孔子に尋ねた。人民に敬意と忠誠の念をもって仕事に精を出させるにはどうすればいいか?と。

子曰、臨之以荘則敬。

「荘」(そう)は荘厳、重々しくて立派なこと。
孔先生がおっしゃった、これ(政治)に臨むに重々しく立派な態度でいれば敬意を払うようになります。

孝慈則忠。挙善而教不能則勧。

「孝」は家庭内で親に従順であり「慈」慈しみをもつこと。『孝』とは?|論語、素読会 「善」は善い人。「教不能」(ふのうをおしえる)は、能力が劣る人を優しく教え導く。
(上に立つものが)親孝行で下のものを慈しめば忠誠の念を持つようになります。善人を重用して能力が劣るものでも優しく教え導けば、仕事に精を出すようになるでしょう。


【解説】

孔子が60歳代のころに、魯の国の大夫(領地を持った貴族)であり、季孫氏の7代目であった季康子が尋ねた章句です。桓公を祖先に持ち魯の国を代々牛耳ってきた三桓の血筋である季康子は、自らの不正を省みることなくどうしたら人民が精を出して働くのか?と孔子に尋ねています。
孔子は辛辣です。重々しく立派な態度でいれば敬意を払いますということは、季康子が軽々しく不遜な態度であるといっているようなものです。親や下のものに対して孝行や慈しみがないので忠誠心が生まれないと言っています。善人だけでなく例え自分や社会ににとって不能(適応性が劣るもの)であっても教え導いて社会の一員として招き入れれば民は仕事に精を出すようになると説いたのです。

この直言が季康子に届いたかどうかは分かりません。ただ、60歳代になり大勢の門人を抱えた孔子は謂わば著名人。その孔子を招いて話をしたとなれば格が上がると見えを切ったのでしょう。返り討ちに遭ったというのがこの章句の味わいなのではないでしょうか。一方でどんな相手にもブレない孔子の思いが伝わってくるのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
為政第二19< | >為政第二21


【現代に活かす論語】
組織において、人員が敬意と忠誠の念をもって熱心に仕事をするようになるには、リーダーが立派な態度、人柄でいれば敬意を払うようになります。リーダーが礼儀ただしく目下のものを慈しめば忠誠の気持ちが芽生えます。誠実な人を重用して能力が劣る人でも優しく教え導けば、熱心に仕事をするようになるでしょう。