論語、素読会 射は皮を主とせず。力科を同じくせざるが為なり|「論語」八佾第三16 2021年4月21日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、射道は的を射ることではない。人によって能力が違うので(的を射貫く力だけでは競わず)、(所作や振る舞いを含めて)力量を …
論語、素読会 子之を聞きて曰わく、是れ礼なり|「論語」八佾第三15 2021年4月20日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生は君主の先祖の霊を祀った廟で祭礼にたずさわったとき、儀式について一々先輩に質問した。ある人が言った、誰かが鄹の田舎役人の子が祭礼の儀 …
論語、素読会 吾は周に従わん|「論語」八佾第三14 2021年4月19日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、周は夏と殷の二代を手本として、素晴らしい文化を建設した。私は周の文化、礼法に従いたい。|「論語」八佾第三14 【現代に活かす論語】過去の歴史において手 …
論語、素読会 罪を天に獲れば、禱る所無なきなり|「論語」八佾第三13 2021年4月16日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 衛の大夫、王孫賈が孔先生に尋ねました。奧の神にこびるよりは寧ろかまどの神にこびよというのは、どういう意味でしょうか? 孔先生がおっしゃった …
論語、素読会 祭ること在すが如くし、神を祭ること神在すが如くす|「論語」八佾第三12 2021年4月16日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 祖先の霊を祭るには、祖先がそこにいるかのように祭る。神を祭るには、神が目の前にいるかのように祭る。孔先生がおっしゃった、私は自ら祭りに参列 …
論語、素読会 其の説を知る者の天下におけるや、其れ諸を斯に示るが如きかと|「論語」八佾第三11 2021年4月15日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 ある人が天子が行うべき禘祭の意義について尋ねた。孔先生は応えておっしゃった。知らないと。その意義を知る人が天下を治めることができるのは、手 …
論語、素読会 吾之を観ることを欲せず|「論語」八佾第三10 2021年4月15日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、禘の祭において、先祖の魂を招く儀式あたりまではいいとして、それ以降は見るに堪えるものではない。|「論語」八佾第三10 【現代に活かす論語】形だけの祭礼 …
論語、素読会 文獻足らざるが故なり。足らば則ち吾能く之を徴とせん|「論語」八佾第三09 2021年4月14日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、私は夏の国の制度についてよく話をするが、夏の子孫の国である杞には、それを証明するものが足りない。私は殷の国の制度につ …
論語、素読会 絵の事は素より後にす。曰わく、礼は後か|「論語」八佾第三08 2021年4月10日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 子夏が質問した。「にっこりと笑って口元に愛嬌があり、目がパッチリとして美しい。その上白粉で化粧をしてさても艶やかな。」という詩がありますが …
論語、素読会 君子は争う所無し。必や射か|「論語」八佾第三07 2021年4月10日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、立派な人は争うことをしないが、ただあるとすれば弓道(射道)であろうか。礼を以て相手を敬いつつ、射道の競技を行い射場を …