論語、素読会

一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る|「論語」里仁第四21

孔先生がおっしゃった、自分の父母の年齢を忘れてはならない。一方で長寿をよろこび、一方では老い先の短さを心配するのだ。|「論語」里仁第四21

【現代に活かす論語】
子として父母の年齢を忘れてはならない。長寿をよろこび、一方で老い先の短さを心配する。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討 里仁第四19
04:56 章句の検討 里仁第四20
11:40 章句の検討 里仁第四21
18:00 「里仁第四」01-26 素読
2021.6.17収録

【解釈】

子曰わく、父母の年は、知らざる可からざるなり。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る。|「論語」里仁第四21
子曰、父母之年、不可不知也。一則以喜、一則以懼。

「知」(しる)は記憶する、「不知」(しらず)で忘れる。「一」(いつ)は一方で。「喜」(よろこび)はこの場合、長寿をよろこぶ。「懼」(おそる)は恐れる心配する。

孔先生がおっしゃった、自分の父母の年齢を忘れてはならない。一方で長寿をよろこび、一方では老い先の短さを心配するのだ。

【解説】

親はいつまでも元気でいるという感覚は、孔子の時代も変わらなかったということか。現代よりも寿命が短く、医療も進んでいなかった当時は、あっという間に命を落とすということもあったでしょう。当たり前のことですが、孔子が弟子に語ったということは、孝行を意識させるきっかけとしての意味もあったのではないでしょうか。


「論語」参考文献|論語、素読会
里仁第四20< | >里仁第四22


【原文・白文】
 子曰、父母之年、不可不知也。一則以喜、一則以懼。

(子曰わく、父母の年は、知らざる可からざるなり。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、父母(ふぼ)の年(とし)は、知(し)らざる可(べ)からざるなり。一(いつ)は則(すなわ)ち以(もっ)て喜(よろこ)び、一(いつ)は則(すなわ)ち以(もっ)て懼(おそ)る。


「論語」参考文献|論語、素読会
里仁第四20< | >里仁第四22